エアグルーヴの紹介

生年月日

1993-04-06

トニービン

ダイナカール

戦績

19戦9勝

調教師

伊藤雄二

騎手

武豊

馬主

吉原毎文

生産者

社台ファーム早来

解説

牝馬として17年ぶりの天皇賞制覇。
2000mになった天皇賞で初の牝馬による優勝。
極めつけは牝馬として26年ぶりに年度代表馬。

西の名伯楽と天才ジョッキーが魅せられたその走り。
90年代に唯一牡馬の壁を自らの力でこじ開けた馬。

それが、『エアグルーヴ』だ。

母は1983年のオークス馬ダイナカール
父は1988年の凱旋門賞馬トニービン

1993年4月6日に生まれた一頭の牝馬は関西の名伯楽・伊藤雄二の目にすぐ止まった。
この幼子を見た伊藤雄二は「牡なら間違いなくダービーだ」と、とてつもない衝撃を受けたと言う。
そして、伊藤雄二厩舎への入厩も決まり、名は『エアグルーヴ』と名付けられた。

無事入厩したエアグルーヴだが、当初は気の悪さを見せていた。
それは父譲りのものであった。
そして、7月の札幌でデビューを迎えた。
デビュー戦は2着に敗れるものの、折り返しの新馬戦ではキッチリ勝利。
勝ちタイムは札幌2歳ステークスと同タイムであった。

秋になり、エアグルーヴは東京のいちょうステークスに出走する。
1枠1番から発走し、先団でレースを進めて直線を向いていざ追い出したところ、進路を塞がれ鞍上の武豊が立ち上がるほどの不利を受けてしまう。
並の馬ならそこで終わってしまう致命的な不利であった。
しかしこの馬だけは違ったのだ。
致命的な不利を受けておきながら、残り200mだけで馬群を割り差し切って勝ったのである。
このレースでのパフォーマンスがエアグルーヴを一躍クラシックの主役へと押し上げるのである。

そして、3歳女王決定戦の阪神3歳牝馬ステークスに駒を進めたエアグルーヴ。
武豊がお手馬のイブキパーシヴへ騎乗の為、アイルランドの名手マイケル・キネーンが手綱を取った。
逃げたビワハイジがスローペースでレースを進めそのまま逃げ切りを決めた。
エアグルーヴは迫ったが半馬身差及ばなかった。

もちろん、4歳での目標をクラシックと決めたエアグルーヴはまずは桜花賞トライアルチューリップ賞に出走。
人気こそ3歳女王ビワハイジに譲るが、レース内容は5馬身差の圧勝。
桜花賞も確勝かと思われていた。

が、桜花賞直前に熱発を発症してしまい桜花賞を回避。
目標を早々にオークスに切り替えた。

熱発による休養明けで臨んだ第57回オークス。
エアグルーヴは桜花賞馬ファイトガリバーを押さえての1番人での出走になった。
7枠15番から飛び出すと、無理なく中団の外目につけレースを進めて行く。
4コーナーを向くところで前を射程圏に入れ直線を向いて満を持して追い出し開始。
熱発明けの影響なのか少し横にフラつきながら伸びていくエアグルーヴ。
坂を上り、大外からファイトガリバーが猛然と追いすがるが、そこからまたギアを上げたエアグルーヴ。
両者の差は詰まることなくエアグルーヴが1馬身半差で1着。
母ダイナカールが同じ舞台でオークスを制してから13年の時を経て、母子2代オークス制覇を成し遂げたのである。


そして秋は、この年から新設された牝馬三冠最後の戦いである秋華賞へはぶっつけで挑むこととなった。
これは、エアグルーヴ自身の体調がそぐわなかったためである。
単勝1.7倍のダントツ人気。
しかし、本調子ではないこととパドックでたかれたフラッシュの影響で馬が入れ込んでしまい、まさかの10着と大敗してしまうのである。
さらにレース中の骨折が判明してしまい、翌年までの休養を余儀なくされてしまった。

5歳になったエアグルーヴ。
骨折も癒え、6月の阪神で行われるマーメイドステークスで復帰することになった。
牝馬では敵はいなかった。
怪我の影響を感じさせない走りで勝利を飾った。

次のレースは、札幌記念になった。
皐月賞馬ジェニュイン、エリモシックらを相手に2馬身半の完勝。
この勝利で陣営は牡馬相手でも戦えると確信し、目標を天皇賞(秋)に定めたのだ。

1997年10月26日東京競馬場。
日本競馬の歴史が動いた第116回天皇賞(秋)が行われた。

最大のライバルは、昨年3歳でこのレースを制覇し連覇に挑むバブルガムフェローだった。
ジェニュインとは札幌記念で勝負付けは済んでいたので実質相手はバブルのみであった。

単勝はバブルが1.5倍。
エアグルーヴが4.0倍であった。

レースは、サイレンススズカが1000m58.5の超ハイペースで逃げる中、バブルガムフェローは3番手、エアグルーヴは7番手でレースを進めていた。
逃げたサイレンススズカが坂を上ってもまだ粘り込む。
そこに1番人気のバブルガムフェローが捕まえに出る。
さらにその1馬身後ろからエアグルーヴが猛然とバブルガムフェローに襲い掛かる。
武豊の右ムチ一発毎に1完歩ずつ差を詰めて200mの叩き合いの末バブルガムフェローを力でねじ伏せたのである。

この勝利は、2000mに距離が短縮された天皇賞では初めての牝馬による優勝であった。
サラブレッドの資質全てが問われる府中の2000mの天皇賞を牝馬が勝つなんて歴史的快挙である。
その後のジャパンカップではピルサドスキーの2着、有馬記念ではシルクジャスティスの3着ではあったが、天皇賞制覇に加えその後のG1での走りも評価され、牝馬ではトウメイ以来26年ぶりに年度代表馬に選ばれたのであった。

1998年もエアグルーヴの現役続行が決められた。
その始動戦として4月の大阪杯になった。
このレースには一つ下のオークス馬メジロドーベルも出走していたが付け入る隙を与えずに勝利。
続く鳴尾記念は不良馬場が堪えたのか、勝ち馬から3馬身差の2着であった。

春の総決算宝塚記念では、稀代の快速王であるサイレンススズカに逃げ切りを許し、内から伸びたステイゴールドを捕まえることが出来ずに3着に終わってしまった。

夏は2年連続で札幌記念に出走した。
負担重量は58?。
牡馬に換算すれば60?はあるであろう、牝馬にとっては過酷極まりない斤量である。

しかし、強い馬には性別も斤量も関係ないのである。
エアグルーヴは58?を背負った同レースで5馬身差の圧勝劇を演じるのである。

天皇賞(秋)の連覇を目指すのかと思っていたら、エアグルーヴはエリザベス女王杯に向かうのであった。
一つ下のオークス馬メジロドーベルとの再戦である。
鞍上には騎乗停止中の武豊に変わり横山典弘が手綱を取ったのだ。

エアグルーヴもメジロドーベルも道中の位置取りはほぼ変わらないところにいた両馬だが、直線を向いての位置取りはまるで違っていた。
圧倒的な人気を背負っているエアグルーヴは馬場の真ん中へ持ち出し、メジロドーベルは最内を突いたのだ。
エアグルーヴはメジロドーベルに差され、前にいたランフォザドリームを差せずに3着に終わってしまった。
実に、3歳の秋華賞以来2年ぶりの牝馬戦での敗戦であった。

続く、ジャパンカップでは2年連続の2着。
引退レースとなった有馬記念ではレース中に起こった落鉄の影響もあり5着に敗れてしまった。


1999年からエアグルーヴを待っていたのは母親としての第二の人生であった。

初年度産駒のアドマイヤグルーヴはエリザベス女王杯を連覇など活躍を見せた。
生涯11頭の子供を残し、2013年4月23日にこの世を去ったのだ。

生まれてきた子供たちの中に母のような活躍をしている馬はいないが、その血脈はこれから先も永遠に受け継がれていく事であろう。
彼女が日本競馬の残したものは大きな財産となっているはずだ。

類まれな勝負根性を持ち牡馬の壁を越え「女帝」と称えられて牝馬。

それが『エアグルーヴ』である。

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