エルコンドルパサーの紹介

生年月日

1995-03-17

Kingmambo

Saddlers Gal

戦績

11戦8勝(うち海外:4戦2勝)

調教師

二ノ宮敬宇

騎手

蛯名正義

馬主

渡邊隆

生産者

Takashi Watanabe

解説

1970年。
アメリカでサイモン&ガーファンクルというユニットによって発表された名曲に「コンドルは飛んでいく」という曲がある。
実に雄大な曲である。

渡邊隆と言うこの曲が好きな馬主が日本にいた。

渡邉はヨーロッパの大種牡馬であるサドーラズウェルズの血を引く、サドラーズギャルと言う牝馬に魅せられアメリカで購入し、2年目にキングマンボと交配をした。

その馬を日本に持ち込み、1995年3月17日、日本馬として初めて世界に飛んでいく馬が誕生する。

名を『エルコンドルパサー』と名付けた。

「コンドルは飛んでいく」の英語表記がエルコンドルパサーなのである。

関東の二ノ宮敬宇厩舎に入厩したエルコンドルパサーはデビュー戦を11月の東京のダート1600mで迎えた。
スタートで立ち上がり、最後方からの競馬。
先行有利のダートでは致命傷の出遅れだった。
先頭から10馬身以上離れて直線外に持ち出すと、まさにその脚は異次元であった。
好位から先に抜け出した2着馬に7馬身差を付ける圧勝。
2着と3着の間が大差なのだからエルコンドルパサーの強さがなお際立つのである。
上りに関しては2着馬を2秒4も上回っているのである。
競走馬としてのレベルが違い過ぎたのだ。
それはそうだ。この馬は1年後に日本のトップに立ち、2年後には世界の頂点に近づくのだから。

新馬戦を圧勝したエルコンドルパサーが次に選んだのは、年明け1月の中山のダート1800m戦。
ここでも、後ろからレースを進め、直線の短い中山で9馬身差の圧勝。
走るたびにエルコンドルパサーは評価が上がって行ったのだ。

当時、同じ外国産馬にグラスワンダーと言う栗毛の馬がいた。
“マルゼンスキーの再来”と言われたこの馬は、無敗で朝日杯3歳ステークスを勝ち、NHKマイルカップに向かう事も決まっていた。

そのグラスワンダーに対抗できる馬としての評価も上がったいた。

その為には芝で走らなければいけなかった。
そこで、陣営は初芝として共同通信杯4歳ステークスが選ばれたが、コースに雪が積もってしまい芝でのレースが出来ないので急遽ダートへの変更を余儀なくされた。
しかしそんなことは関係なく、ここも危なげなく勝利。
芝で力を計りたかった陣営には誤算ではあったが、何はともあれ重賞初勝利を飾った。

その2か月後、東京でニュージランド4歳ステークスが行われ、初めてエルコンドルパサーは芝のレースに挑んだのである。
ここには、朝日杯3歳ステークスで2着のマイネルラヴ、フラワーカップの勝ち馬スギノキューティーなど実力馬が揃ったが、ここでも1番人気になったエルコンドルパサーは、スタートでまたも後手を踏むも、直線で抜け出し快勝。
これで、4戦4勝。
無敗でNHKマイルカップに向かうのだ。

グラスワンダーとの戦いが注目されていたのだが、グラスワンダーに骨折が判明し直接対決は幻となってしまった。

グラスワンダーにいないNHKマイルカップ。
こうなれば、エルコンドルパサーの独断馬。
エルコンドルパサー以外にも、トキオパーフェクト、ロードアックスなど同じ無敗馬がいて、強力なライバルに思えたがエルコンドルパサーとの力の違いは一目瞭然でった。
今までとは違いスタートを出た後、楽に先団に付け4番手でレースを進め、4コーナー手前で早くも先頭に並びかけるとここから楽に抜け出し終わってみれば1馬身3/4で完勝。
5戦5勝で春の3歳マイル王になったのだ。

秋は、毎日王冠から始動が決まった。
ここには、圧倒的なスピードを武器に逃げて連勝中のサイレンススズカ、そして骨折明けの無敗の3歳王者グラスワンダーが参戦。
エルコンドルパサーとグラスワンダーの主戦であった的場均がグラスワンダーに騎乗することとなり、このレース以降は蛯名正義が手綱を取るのであった。

宝塚記念でG1馬となったサイレンススズカに3歳無敗の外国産馬がどこまで戦えるのかと、この世紀の1戦を目に焼き付けようと東京競馬場にはG2としては異例の約12万人が集まったのだ。

サイレンススズカが2番枠から飛び出しいつものこの馬のペースで走っていく。
珍しく後方を引き連れての逃げだった。
それでも1000mを57.7で通過。
エルコンドルパサーはそれを4番手で追走。
グラスワンダーはエルコンドルパサーの外にいた。
直線を向いてサイレンススズカ目掛けて追いすがるが、斤量が2キロ差あってもサイレンススズカとの差が詰まらない。
最後はエルコンドルパサーが追いすがるも2馬身半が一杯だった。
グラスワンダーは伸びあぐねて5着だった。

エルコンドルパサーが日本で負けたのはこの毎日王冠だけであった。

次のレースには、マイルチャンピオンシップとジャパンカップの2レースが候補に挙がった。
そしてジャパンカップに決まった。
その際に馬主の渡邊が調教師の二ノ宮にこんなことを言ったとされている。
「マイルチャンピオンシップなら勝てると思うけど、負けるかもしれないジャパンカップで申し訳ないね」と言ったところ、二ノ宮からこんなこんな答えが返ってきた。
「ジャパンカップに走っても勝てるから大丈夫ですよ」と。
そのくらい二ノ宮はエルコンドルパサーに手ごたえを感じていたのだ。

1998年11月29日第18回ジャパンカップが開催された。
ライバルと目されていたのは、同い年のダービー馬スペシャルウィーク。
天皇賞馬エアグルーヴ。
外国馬では前年のブリーダーズカップターフを勝ったチーフベアハートであった。

人気はスペシャルウィーク、エアグルーヴ、エルコンドルパサーの順だった。
血統的にマイルから2000mまでと言うのが一般的な見解で、2400mに対する一抹の不安もあっての3番人気であった。

サイレントハンターの逃げを果敢に3番手でレースを進めていく。
その後ろにエアグルーヴとスペシャルウィークがいた。
直線を向き早めにサイレントハンターを捉え、坂を上りスペシャルウィークとエアグルーヴが猛然と追いすがるも2頭を退け4歳馬として初のジャパンカップ制覇だった。

エルコンドルパサーはこの年の最優秀3歳牡馬を受賞。
しかし、この受賞はクラシック2冠馬差し置いての受賞で、クラシックの権威とは何なのかと取り沙汰されるほどであった。

唯一負けたサイレンススズカが故障で亡くなってしまい、スペシャルウィークとグラスワンダーにも勝ったということで、陣営は海外遠征を決断したのだ。
それも、1戦だけとかではない、長期滞在を決めたのであった。
それはまさに英断であった。

フランスに到着し現地で最初のレースは、ロンシャン競馬場で行われる芝1850mのイスパーン賞。
好位から抜けだすも、最後は地元のクロコルージュに差され2着。
遠征初戦としては上々の滑り出しであった。

次に選ばれたのは、フランスサンクルー競馬場のサンクルー大賞。距離は2400m。
この年のサンクルー大賞には、前年の凱旋門賞を制したサガミックス、仏愛ダービー馬のドリームウェル、前年にドイツのバーデン大賞を制したタイガーヒルなどヨーロッパを代表とする錚々たる古馬が出走してきた。
エルコンドルパサーにとっては、力を試すには格好の場であった。
斤量61㎏と日本では考えられないほどの斤量を背負ってのレースとなった。

レースは好スタートを決めると4番手に付ける。
その前にタイガーヒル、サガミックスとドリームウェルは中団よりやや後ろの位置からの競馬になった。
10頭が縦長に流れて行く。
残り600mで直線を向くと400mまでは我慢し、そこから追い出すとエルコンドルパサーは力強く伸び見事1着になった。
この勝ちっぷりなどから凱旋門賞の有力馬に上げられるようになった。

それから2か月後のフォア賞にエルコンドルパサーは姿を見せた。
このレースはなんと3頭立てという極めて珍しいレースであった。
スタートからハナに立つエルコンドルパサー。
そのままの隊列で最後の直線に向き、一旦はドイツの牝馬のボルジアに先頭に立たれるも外から差し返し1着。
3頭立てと言う難しいレースをキッチリと勝利し、いよいよ本番の凱旋門賞へと向かうのであった。

1999年10月3日フランスロンシャン競馬場にて第78回凱旋門賞が行われた。
当日の馬場は凱旋門賞史上で一番重い不良馬場であった。
出走馬の中には欧州最強3歳馬のモンジュー。
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを勝っていたデイラミなどがいた。

レースはモンジューのラビットとして出走していた、ジンギスカンがハナを切る予定ではあったが、同馬が出遅れたことによりエルコンドルパサーがハナに立った。
楽にハナにたち折り合ったエルコンドルパサーは、マイペースでリズムを作っていく。
モンジューはエルコンドルパサーを見るような位置取り。
デイラミは中団で構えていた。

フォルスストレートを抜け、最後の直線。
逃げ込みを図ろうとするエルコンドルパサー。
そのエルコンドルパサーをモンジューが追う。
レースは2頭の一騎打ち。
エルコンドルパサーか?モンジューか?
日本競馬の悲願は叶うのか?

と思った残り100m付近でモンジューに捉えられてしまい2着に敗れてしまった。
2着に敗れてしまったが、斤量が3.5㎏差あり、3着馬とは6馬身もの差を付けたことから、「チャンピオンホースは2頭存在した」と高い評価を受けたのだ。
幾多の名馬が跳ね返されてきた凱旋門賞だが、この着順は日本馬最高着順でありその後の凱旋門賞挑戦の礎となったのは間違いない。

ジャパンカップ出走を望む声も多かったが、この凱旋門賞を最後に現役を引退。
ジャパンカップ当日に引退式が執り行われた。
そのジャパンカップにはモンジューが参戦し、同期のダービー馬スペシャルウィークが見事エルコンドルパサーの無念を晴らしたのであった。

この年、スペシャルウィークが春秋天皇賞制覇とジャパンカップに勝利をした。
グラスワンダーは宝塚記念と有馬記念を制覇し、グランプリ3連覇を達成。
そして、エルコンドルパサーはサンクルー大賞勝利と凱旋門賞2着があった。

一体、どの馬が年度代表馬の相応しいのか?

そんな疑問が出る中、エルコンドルパサーが受賞し、スペシャルウィークとグラスワンダーは特別賞という形に納まった。
このエルコンドルパサーの受賞はまたもや物議を醸しだしてしまった。
それもそのはず、誰が選ばれても同じ議論は起きていただろう。

一つ間違いなく言える事はこの年には「年度代表馬が3頭いた」という事だ。
代表してエルコンドルパサーがもらったのだ。
それだけ、この3頭の実力と言うのは抜けていたし同じ時代に生まれたのが幸か不幸か考えてしまう。

種牡馬になったエルコンドルパサーだが、わずか3世代を残し2002年7月16日亡くなってしまった。

正真正銘「コンドルは飛んでいったのだ」

90年代最後に現れたスーパーホース。
エルコンドルパサー、スペシャルウィーク、グラスワンダー。
違う時代に生きていればもっと輝いた3頭。
しかし、同じ時代に生きたから今なお色褪せずに輝き続けているのかもしれない。

初めて、日本に世界を意識させた馬

それが『エルコンドルパサー』である。

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