オグリキャップの紹介

生年月日

1987-03-27

ダンシングキャップ

ホワイトナルビー

戦績

32戦22勝(うち地方:12戦10勝)

調教師

鷲見昌勇(笠松) →瀬戸口勉(栗東)

騎手

武豊

馬主

小栗孝一

生産者

稲葉不奈男

解説

1970年代。
1頭の地方馬が中央でG1を勝ち一大旋風を巻き起こした馬がいた。
「昭和の怪物・ハイセイコー」
地方で破竹の勢いでの連勝を見せると中央に移籍。
そのまま連勝を重ね皐月賞を制覇。
地方馬初のダービー制覇を夢ではなかったが、使い詰めによる疲労からダービーは3着に。
翌年の宝塚記念を勝ち、同年の有馬記念で引退した、元祖「アイドルホース」である。

そのハイセイコーの引退から13年後、1頭の地方出身のサラブレッドが日本競馬界に新たなムーヴメントを起こし、昭和の終わりから平成を駆け抜けたのである。
その馬こそ言わずと知れた『オグリキャップ』である。

戦績こそ華々しいものだが、最初からこの未来が約束されていてものでは決してない。
お世辞にも良血とは言えない血統背景。
それも、この馬は元々中央で走らすことを前提に交配された馬ではないのである。

オグリキャップの母・ホワイトナルビーを所有していたオーナーが好んでダンシングキャップを種付けし生まれてきたのがオグリキャップなのである。

1985年3月27日に北海道の稲葉牧場で誕生したオグリキャップは、生まれながらに脚が曲がっており自力では立てないほどであった。
しかし、牧場スタッフの賢明な矯正の結果成長するにつれて徐々に改善されていった。

1987年1月に笠松競馬場の鷲見昌勇厩舎に入厩。
5月19日のデビューのダート800mでは2着に敗れるも、2戦目で初勝利を挙げる。
8月12日のダート戦からオグリキャップの伝説が始まるのである。

8月30日のレースから鞍上には安藤勝己が跨り地方時代は全て安藤が手綱を取るのであった。

10月4日のジュニアクラウンで初重賞制覇。
この年、重賞4勝を含む11戦9勝で終えたのであった。

年が明けた1989年1月10日のゴールドジュニアを制し、この勝利を最後にオグリキャップは舞台を笠松から中央に移すのであった。
同年に栗東トレーニングセンターの瀬戸口勉厩舎への移籍が決定した。

オグリキャップの中央デビュー戦は3月6日阪神で行われるペガサスステークスが選ばれた。
地方での活躍は知られていたが当日の人気は2番人気であった。
しかし、後方からレースを進めると直線のみで他馬を突き離し噂に違わぬ勝ちっぷりを見せたのである。
続く毎日杯では重馬場ながら後方から進出をしゴール直前で前に行く馬を捉え優勝したのである。

オグリキャップはクラシックへの予備登録を行っていなかったので賞金は足りていてもクラシックへの出走は叶わなかったのである。
そんな事は関係なくオグリキャップは走るたびに強さを見せ勝って行くのである。

その後も、ニュージーランドトロフィー4歳ステークス、高松宮杯、毎日王冠と連勝し始めて挑む中央のG1。
一つ上の芦毛のタマモクロスに挑む、天皇賞(秋)である。

タマモクロスは宝塚記念から直行に対し、オグリキャップは毎日王冠で勝利。
この前走の差がオッズに開きを生みオグリキャップはタマモクロスを抑えて1番人気になったのであった。
レースはオグリキャップが後方から進むのに対し、タマモクロスは早めの2番手でレースを進めて行く。
そして、最後の直線でオグリキャップはメンバー最速の上りを駆使するも早め先頭から抜け出したタマモクロスを捕まえることが出来ずに2着に敗れた。

これが、3戦しか実現されなかったオグリキャップvsタマモクロスの「芦毛頂上決戦」の幕開けである。

次走にはジャパンカップが選ばれた。
年内で引退が決まったいるタマモクロスに対してリベンジ出来るのがジャパンカップと有馬記念しか残されていないからなのだ。
そして、迎えた第8回ジャパンカップ。
1番人気はライバルタマモクロス。
2番人気は凱旋門賞馬のトニービン。
3番人気にオグリキャップであった。
天皇賞での敗戦を教訓とし、鞍上の河内と調教師の瀬戸口は先行策に打って出る。
しかし、向こう正面で折り合いを欠き後方へと下がってしまい、最後伸びを見せるもペイザバトラー・タマモクロスを捉えることが出来ずに3着に終わってしまい、このレース後岡部幸雄が有馬記念で手綱を取ることが決まった。

そして、1988年最後のG1第33回有馬記念
オグリキャップに残されたタマモクロスとの最後の戦い。
オグリキャップが中団で、タマモクロスは後方からレースを進める。
3コーナーから4コーナーにかけて各馬が進出し、タマモクロスも猛然と追い上げオグリキャップに馬体を合わせる。
しかし簡単には譲らないオグリキャップ。
2頭の馬体が競り合った形で直線に向き、追いすがるタマモクロスに対し終始手ごたえ良く回ってきたオグリキャップがタマモクロスとの叩き合いを制し初G1勝利を飾った。

年が明けて1989年誰もがオグリの飛躍をを信じていた矢先、オグリの脚に異変が起きる。
冬から春にかけて怪我が重なり、春は全休することとなった。
そして、秋は9月のオールカマーから始動、鞍上にはライバルタマモクロスの主戦であった南井克巳が選ばれたのであった。
ここも危なげなく勝利をしたオグリだが、9月から12月までに重賞を6レース走ると言う「オグリ伝説」の幕開けなのである。
オールカマーを勝ち、続く毎日王冠で同じ地方出身のイナリワンをハナ差の末撃破。
そして、第100回の天皇賞(秋)。
圧倒的1番人気になったオグリキャップだが、レースは武豊騎乗の2番人気スーパークリークを直線で捉えることが出来ずに2着に敗れてしまう。
次に選ばれたレースは、京都で行われるマイルチャンピオンシップ。
ここでもオグリキャップは1番人気の支持を受ける。
相手はバンブーメモリーただ1頭。
終始好位でレースを進めたオグリキャップだが、直線で行き場をなくしバンブーメモリーに先に抜け出されてしまい、誰もが勝負ありと思った残り100mで驚異的な勝負根性を見せゴール寸前でハナ差捉えて勝利。
2つ目のG1タイトルを手に入れた。

しかし、オグリキャップの伝説はこれだけでは終わらない。
なんと翌週に行われるジャパンカップに参戦と言う、常識では考えられないローテーションを発表したのだ。
並の馬ではG1の連闘でまともに走る事も難しいはずなのに、オグリキャップは勝ったニュージーランドのホ―リックスに最後はクビ差まで迫ったが勝つことは出来なかった。
それだけでも大したことなのに、勝ちタイムが当時の世界レコードの2:22.2という時計で走ったこともオグリキャップが伝説のサラブレッドになっていく大きなきっかけになったのだ。
この年の最後に有馬記念が選ばれたが、さすがにここまで走った疲労の色は隠せずに、勝ったイナリワンから離れた5着に敗れてしまった。

1990年もオグリキャップは現役を続行することを決めた。
この年の目標として9月にアメリカ遠征が計画されていた。
しかし、幾度となく不屈の闘志を見せてきたオグリキャップの歯車が徐々に狂い始め、能力にも陰りが見えるのであった。

この年の初戦には安田記念が選ばれた。
鞍上には初めて武豊が跨った。
レースでは3番手で進め、残り2ハロンで先頭に立つとそのまま押し切り3つ目のG1タイトルを手に入れた。
続く宝塚記念では、武豊がスーパークリークに騎乗(直前で回避)の為、岡潤一郎が騎乗し終始3・4番手を進むも最後の直線で先を行くオサイチジョージを捉えきれず2着。
このレース後にアメリカ遠征が計画されていたが、ここでも怪我の為遠征を断念。

秋は天皇賞から始動した。
しかし、ここでもオグリキャップに故障が発生してしまう。

そう、ここからオグリはもがき苦しむのである。
しかし、幾度となくオグリキャップの走りを見てきた人はオグリキャップを信じていたのだ。
その思いとは裏腹に、天皇賞は6着、ジャパンカップに至っては生涯で最悪の11着に敗れてしまう。

「オグリはもう終わった」
そんな声が世間を取り巻く。
そこには、かつてのオグリの姿はもうなかった・・・はずだった。


オグリキャップの引退レース、1990年12月23日第35回有馬記念。
「無事に走ってくれればそれでいい。それだけでいい」
これがファンの思いだった。
オグリキャップは地方から中央に来て幾多の名勝負を演じてきた。
「オグリはずっとオグリ」
そう思ってもいたが、やはりオグリも1頭のサラブレッドであり、衰えは隠せなかった。

鞍上には安田記念以来に武豊が跨った。
「勝って欲しいが、期待するのはもうやめよう」
その答えが単勝4番人気だった。

レースは6番手追走から、4コーナー前にして馬なりで進出を開始、外から3番人気メジロライアンが迫ってくる。
オグリを鼓舞し続ける武豊。
それに応え、ただ前に進んでいくオグリキャップ。
「オグリ!オグリ!」
そう中山競馬場に駆けつけている人の声が聞こえるようだった。
そして、それは確実にオグリの背中を押した。

オグリキャップと武豊。
このコンビが引退レースの有馬記念を1着で駆け抜けたのだ。
中山競馬場に詰め寄せた約18万人の観衆から必然と湧き上がるオグリコール。
「オグリ!!オグリ!!」
それに応えるオグリと武豊。

やはり、オグリキャップは最後までオグリキャップだったのだ。

信じる者だけが救われる。
もしかしたら、オグリ自身は自分の力を信じていたのかもしれないし、これが最後のレースだと分かっていたのかもしれない。
そんな思いにさせられた有馬記念。


これがオグリの「伝説」と言われる最後のレースなのである。


その後、種牡馬としては自身のような闘志あふれた産駒を世に残すことは出来なかった。

2010年7月3日、名馬オグリキャップが天に昇ったのだった。
その名は、今なお人々の記憶に鮮明に残っているに違いない。

“魅了”
日本の競馬ファンを正に“魅了”した『オグリキャップ』にはぴったりの言葉であろう。

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