オルフェーヴルの紹介

生年月日

2008-05-14

ステイゴールド

オリエンタルアート

戦績

21戦12勝(うち海外4戦2勝)

調教師

池江泰寿

騎手

池添謙一

馬主

サンデーレーシング

生産者

社台コーポレーション白老ファーム

解説

日本で世界の頂きに2度も近づいた栗毛の馬がいた。
その馬は異端児で問題児だった。
父譲りの気性の荒さと祖父譲りの強靭なメンタルを兼ね備えていた。
しかし時にそれは諸刃の剣でもあったが、ひとたび噛み合えば超人的な爆発力にもなった。

2011年に突如舞い降りてきた光り輝く栗毛の三冠馬

それが、


『オルフェーヴル』だ。


オルフェーヴルには4つ上にお兄さんがいた。
母オリエンタルアートは現役時代は23戦3勝と決していい成績ではなかった。
2003年にステイゴールドと交配され、鹿毛の牡馬を産んだ。
馬体は小さかった。
ステイゴールド自体の種牡馬としての期待もそこまで大きい物でもなかった。
他のサンデーサイレンス産駒に比べればやはり、繁殖牝馬の質は劣った。
その中にオリエンタルアートがいたのだ。

その生まれた牡馬は「ドリームジャーニー」と名付けられ、栗東の池江泰寿厩舎に預けられた。
オルフェーヴルのお兄さんである。
この馬は2009年にグランプリを春秋連覇したのだ。

その後オリエンタルアートは3頭の子供を産むも、どの馬を兄ほどの活躍は出来なかった。

2007年の交配の際に初めはディープインパクトが選ばれた。
しかし、3回種付けをしても1回も受胎しなかったのだ。
そこで、関係者は相手をステイゴールドに変えたところ、なんと1回で受胎したのである。

2008年5月14日にオルフェーヴルは誕生した。
もし、父親がディープインパクトだったらここまでの成績を残せなかったかもしれない。
この誕生は偶然ではなく、偶然を装った必然だったのかもしれない。

オルフェーヴルの入厩先は兄ドリームジャーニーと同じく栗東の池江泰寿厩舎に決まった。
この時既にドリームジャーニーには池添謙一が跨り宝塚記念と有馬記念を制していた。
その縁もあり、池添謙一がオルフェーヴルの手綱を取るのだった。

デビューは2010年8月の新潟のマイル戦に決まった。
レースはちょうど真ん中から運んでいき、最後の直線では爆発的な末脚を駆使して見事デビュー戦を飾った。
しかし、オルフェーヴルはゴール板を過ぎた後にやんちゃぶりを発揮するのだ。
向こう正面まで行っても馬は止まろうとはせず、手綱を引く池添謙一の指示に従わなかった。
それどころか池添謙一を振り落してしまったのだ。
能力は相当なものはあるが、やはり気性が大きな問題でこの後もこの気性が災いするのである。

2戦目には中山でのオープンの芙蓉ステークスが選ばれた。
ここも中団からレースを進めるが若干引っ掛かるようなところが見えた。
最後は鋭い脚を見せるが、先に抜け出していたホエールキャプチャを捕まえられず2着に敗れた。
差すことは出来なかったが、やはり能力があるところを見せる事が出来た。

その後は、東京の京王杯2歳ステークスが選ばれた。
スタートを切り、池添謙一は中団から我慢させてレースを進めようとするもオルフェーヴルはそれに従おうとはせず、馬とジョッキーはケンカをしてしまう。
終始折り合いを欠いたままレースを運んでいったオルフェーヴルだが、あれだけ引っ掛かってしまえばいくら終いの脚があろうと繰り出すことはやはり出来なかった。
結果11着と惨敗してしまうのであった。

この敗戦がオルフェーヴルにとって一つの転機になるのであった。

年明け初戦に選ばれたのは1600mのシンザン記念であった。
ここから、調教師の池江泰寿と池添謙一はあるテーマを持ってレースに挑むのであった。
その際、池江泰寿は池添謙一にこんな事を言ったとされている

「ダービーを勝てば負けてもいいから」

ここから、ダービーを勝つために調教師とジョッキーがオルフェーヴルにレース中に我慢することを徹底的に教え込むのである。

迎えたシンザン記念。
前走の敗戦の影響もあるだろうがオルフェーヴルは3番人気での出走になった。
スタートで立ち遅れたが無理に前には行こうとせずに折り合いに気を付けて、教え込むように池添謙一は乗っていた。
それでもまだオルフェーヴルは引っ掛かる面を見せるが、芙蓉ステークスや京王杯2歳ステークスに比べたら良くなっていた方ではあった。
直線向いた時はまだ後方にオルフェーヴルはいた。
「他の馬につられて仕掛けたら意味がない」池添謙一はそう思っていた。
そして、我慢に我慢をさせて外に進路を取り溜めた脚を爆発させた。
結果、好位にいたレッドデイヴィスは差せなかったが、上りは最速の33.5。
やはり、溜めたときの最後の脚は一級品だった。

その1か月後のきさらぎ賞に向かった。
クラシックの登竜門であるこのレース、賞金的にもオルフェーヴルは勝ちたいレースであった。
1番人気は永遠のライバルとなるウインバリアシオンに譲りオルフェーヴルは2番人気で臨んだ。
スタートを切って、ここでも位置取りは気にせず池添謙一は折り合いに専念した。
まだ口を割る場面は見受けられたが、幾分指示には従っているようには見え、最後は追い込んでくるも逃げたリキサンマックスを捕まえることが出来ずに勝ったトーセンラーの3着止まりだった。

この2レースは我慢させることを教えてきた。
これからはそれを証明する番だった。
賞金的にはトライアルで権利を取るしかなかったオルフェーヴルは、中山でのスプリングステークス出走を決めていたが、そんな時だった。

2011年3月11日“東日本大震災”が起こってしまった。
この未曾有の災害で競馬なんかやってていいのかと言う声も上がっていた。
しかし、競馬の開催は決まった。

これにより、3月の中山開催は阪神で行い、4月の中山開催は東京で行うことが決まった。

オルフェーヴルは3月末の阪神で行われる皐月賞トライアルのスプリングステークスに向かう事が正式に決まった。
ここで3着以内に入らなければ皐月賞には出れない、ダービーを確定させるには勝って皐月賞に行きたかった。
ここには京王杯2歳ステークスで負けたグランプリボスが出走。
この距離では負けるわけにはいかなかった。
6番枠からスタートを切ると、池添謙一はオルフェーヴルを中団に位置づけ折り合いに細心の注意を払う。
先頭から後方まではほとんど差のないまま直線に向かっていく。
残り600mから軽く追い出すとあっという間に先団に取り付いた。
そこから、左ムチを使うと鋭い伸び見せるが内に切れ込んでしまった。
それでも、最後はベルシャザールを振り切り重賞初勝利でクラシックへ進むのであった。
今までやってきたことが少しづつ実を結んでいた。

2011年4月24日東京競馬場で第71回皐月賞が行われた。
震災の影響により1週遅れでの東京開催となった。
過去に行われた東京での皐月賞を勝ったのは7頭おり、その中にはシンザンやトウショウボーイと言った時代を彩った名馬がずらりといた。
つまりここを勝てばこの先の活躍も期待出来るのだ。
トライアルを快勝しながらもオルフェーヴルの評価は4番人気であった。
新馬戦で見せた内への切れ込み、兄ドリームジャーニーが左回りが不得手という事もあったがそれでも低評価だった。
12番からスタートすると、オルフェーヴルを中団後ろの内にいれた池添謙一。
ここでオルフェーヴルは池添謙一ときちんと折り合っていた。
最後の直線を向き、オルフェーヴルを馬群の中に入れて行った。
そこに鞍上の迷いは無かった。
坂を上ってからあっさり1馬身差離し、ラスト100mで手前を変えてからは後続をちぎった。
3馬身差の快勝であった。

目先の勝利ではなくダービー制覇を目指して、1つずつ積み重ねてきたことが結実した瞬間だった。
この勝ちっぷりはその先のダービーの栄冠もしっかり捉えていた。

5月29日第78回日本ダービー
父ステイゴールドも祖父メジロマックイーンもゲートインすることが出来なったこの舞台。
栄光の舞台に皐月賞馬としてオルフェーヴルは1番人気で本番を向かえた。

当日は強い雨が降りしきる東京競馬場の馬場は不良。
終い勝負のオルフェーヴルにとっては決していい状態とは思えなかった。
5番枠からスタートを切って行くと、オルフェーヴルと池添謙一は中団後方で折り合いに気を付けた。
不良馬場にしてはペースは早かった。
池添謙一は最後の進路は外と決めていた。

直線を向いて、仕掛けて行くときにナカヤマナイトと馬体が接触することがあったが、それに怯むどころかそれを力に変えたかの様な勢いでまた狭い所を割って出てきたのだ。
最後はウインバリアシオンが猛追するも、それを1馬身3/4振り切り勝利。
この極悪馬場を跳ね除けての勝利はまさに夢が膨らむ完勝だった。
調教師の池江泰寿、池添謙一謙一共にダービー初制覇。
それは、まさに念願だった。

ただ、この1着を取るためだけに全てをオルフェーヴルに教え込んできた。
勝てないこともあったが、それでも持っている力を最大限発揮させるために教えられることは教えてきた。
全てはこの日の為に。

格別な勝利だった。
皐月賞では自粛したガッツポーズも自然に出てしまった。
競走馬を続けられるかわからないほどやんちゃだった馬をここまでに矯正した厩舎力も素晴らしいものがあった。

これで、2冠達成。
残すは秋の菊花賞での6年ぶりの三冠制覇だけだった。

夏をトレセン近くのノーザンファームしがらきで休養したオルフェーヴルは、菊花賞トライアルの神戸新聞杯から始動した。

馬体重は+16?と成長して帰ってきたオルフェーヴルがいた。
単勝1.7倍のダントツの支持を受けた。
スタート後、オルフェーヴルは5番手に付ける春とは違う形での競馬を見せた。
1000m通過が63.5の超スローペースの中、少し持っていかれるような場面も見受けられるが我慢は出来ていた。
4コーナー手前から徐々に進出していき、持ったままで直線を向き少し仕掛けるとそこからはあっさりだった。
2冠馬が新境地を開拓しての前哨戦の勝利は、菊花賞に向けて折り合い以外は不安がなかった。

10月23日京都競馬場で第72回菊花賞が行われた。
7万人近い大観衆が快挙達成の瞬間を見届けようと集まった。

14番枠から前走同様好スタートを切ったオルフェーヴル。
まずはこの最初の下りをゆっくり下って行かなければ3000mを乗り切るのは難しくなる。
池添謙一もそこには出来うる限りの注意を払っていた。
が、外から被されると最後のコーナーと勘違いし若干口を割りながら下って行く姿が見受けられた。
サダムパテックのすぐ後ろに馬を入れてオルフェーヴルをなだめていた。
ペースは遅かった。
それでも、オルフェーヴルは池添謙一の指示に従い行きたい気持ちを押さえて折り合いをつけていた。

2週目の坂を上り馬群は固まっていた。
下りで少しづつ前との差を詰めていくオルフェーヴル。
4コーナー手前から前を捕まえに行き、直線では既に先頭に立っていた。
池添謙一のムチに応えてオルフェーヴルは後ろとの差を広げていった。
残り200mで勝ちを確信した。
ライバルのウインバリアシオンが来るが、池添謙一は最後は流す余裕さえあった。
3000mも走ったにも関わらず、またジョッキーを振り落してしまったのだった。
大人になったかに見えたがまだまだ子供の面を覗かせていた。
勝ちタイムは3:02.8のレコードだった。


これで、ディープインパクト以来6年ぶり、史上7頭目の三冠馬になった。
ジョッキーの池添謙一は史上最年少三冠ジョッキーとなり、調教師の池江泰寿は史上初めて親子での三冠トレーナーになった。

この先に待っているのは古馬との戦いだけであった。
ナリタブライアン以来の3歳四冠を目指し、有馬記念に堂々と1番人気での出走となった。

12月25日中山競馬場で第56回有馬記念が行われた。
単勝2.2倍。
古馬と交じっても戦えると言う期待の表れであった。
三冠馬として力を試すには絶好の機会だった。
兄ドリームジャーニーも制しており兄弟制覇の期待もかかっていた。

G1馬9頭による豪華グランプリでもあり、最初で最後のブエナビスタとの対戦でもあった。


珍しくスタートで立ち遅れたオルフェーヴルだが、池添謙一は焦らず後方から折り合いを付けてレースを運んでいった。
アーネストリーがペースを作って行くがやはりスローペースになった。
中には折り合いに苦労する馬も見受けられたが、オルフェーヴルはじっと我慢が出来ていた。
向こう正面で池添謙一がやや外に持ち出し、いつでも仕掛けれる位置にいた。
3コーナーを過ぎていき、好位の馬たちも前を捉えにかかり、その後ろにいたオルフェーヴルも動き出した。
3・4コーナー中間地点から動き出したオルフェーヴルは瞬く間に先団に取り付いていた。
4コーナーを回り追い出すと外から一気に古馬たちを飲み込んでしまった。
並み居る古馬を撃破して3歳四冠を達成した瞬間だった。

34.0のレースの上りを残り700m付近から自ら動いて33.3で一刀両断してしまった。
とにかく「強い」の一言だった。

この年文句なしで年度代表馬に輝き、翌年さらなる飛躍が期待されていた。


年が明けオルフェーヴルはリフレッシュの為放牧に出された。
1年の労を労うのと、この年の飛躍の為だった。

2012年の始動戦として阪神大賞典に決まり、そこから天皇賞(春)へ向かうことも決まっていた。
折り合いに難のあるオルフェーヴルだが、“日本で3200mを勝ち負け出来なければ凱旋門賞では勝負できない”と言う、調教師の池江泰寿の持論でもあった。
この時、既にオルフェーヴルの凱旋門賞挑戦はほぼ決まっており、春の結果を受けて最終判断をするのであった。

迎えた阪神大賞典。
オルフェーヴルの名を一層世間に轟かせるレースになるのであった。

天候は曇りで馬場状態は稍重だったが、不良のダービーを快勝しているオルフェーヴルには苦にする馬場ではなかった。
池江泰寿と池添謙一は、秋の凱旋門賞を見越して今までのような後方から捲っていく競馬でなく神戸新聞杯と菊花賞で見せた好位で折り合って進めるという事で考えは一致していた。
単勝1.1倍、支持率76%が物語るように四冠馬がどのような走りをするかが注目されていた。

リフレッシュしたオルフェーヴルは、今までの休み明けより入れ込んでいた。
この入れ込みように合わせて大外からの発走と池添謙一には不安がよぎった。

12番枠からスタートしたオルフェーヴル。
スンナリと好位集団に取り付き池添謙一はそこで我慢させようとした。
しかし、大外枠が災いし前に壁が作れずに最初の4コーナーで外からナムラクレセントが交わしていったその時であった。
オルフェーヴルはそのナムラクレセントを追っていってしまったのだ。
一度闘争心に火が付いたオルフェーヴルをなだめるのはもう不可能だった。

向こう正面に入りオルフェーヴルはハナに立った。
そして3コーナーに入ったその時だ

池添謙一が手綱を引いた。

“故障発生か!?”

そう思ったとき、一度手綱を引き止まったはずのオルフェーヴルが馬群を見つけると再び加速し馬群に取り付いたのだ。
直線を向いて一旦先頭に立ったが、内からロスなく回ってきたギュスターヴクライを半馬身差捕まえられず2着。
とんでもない方向に走って行き、馬群を見つけてまた走り出し最後詰め寄ったオルフェーヴルの能力はどうなっているんだ!?
と自身の能力を示すと同時に悪さや脆さも露呈してしまった。
後日オルフェーヴルには平地調教再審査が課せらる事となり、天皇賞(春)への出走が微妙になってしまった。

4月11日に、平地調教再審査が行われた。
逸走してしまった時と同じ、3コーナーから4コーナーにかけての審査であった。
この結果、逸走を含め問題がないとの判断が下され天皇賞(春)への出走を決めた。

しかし、三冠馬にもなった馬が再審査を受けると言うのは異例中の異例であった。


無事、再審査をクリアしたオルフェーヴルは4月29日の第145回天皇賞(春)に出走した。
前走、折り合いを欠いたり逸走などがあったがファンはオルフェーヴルを1番人気に推し単勝は1.3倍の人気であった。
しかし、再びの大外発走と普段しないメンコの影響が気になるところだった。

オルフェーヴルにとっては汚名返上の天皇賞のスタートが切られた。
前回の反省からか先に行くことはせずすぐに後方に下げた。
最初の下りでは幾分持って行かれそうだったが、折り合いを欠いているほどではなかった。

前は、ゴールデンハインドとビートブラックが引っ張る展開。
そこから離れてナムラクレセント、さらに離れて馬群が固まった後方の2番手にオルフェーヴルがいた。

坂の上りでビートブラックが逃げたゴールデンハインドに並びかけるが、後ろはまだ追って来ない。
池添謙一は坂を下って追い出しにかかるがいつもの行きっぷりではない。
最後の直線に向いたときにオルフェーヴルは外に滑るような素振りを見せた。
しかし、そこからの伸びを信じていたがオルフェーヴルが伸びる事は無かった。
今までに見たことのないオルフェーヴルがそこにいた。

終わってみれば勝ったビートブラックから1.8遅れの11着の大敗だった。
2歳時の京王杯2歳ステークス以来の惨敗だった。

自らが犯してしまった暴走によりオルフェーヴルを負の連鎖が取り巻いていた。
この敗戦は凱旋門賞挑戦をも白紙にしてしまうかもしれないような敗戦であった。

宝塚記念までの間、一旦放牧に出されたオルフェーヴルだが状態は一向に上がる気配はなかった。
放牧から帰厩しても、なお出走の意思表示はしていなかった。
それだけ判断は慎重だった。

ファン投票で1位になったオルフェーヴル。
最終追い切りを終えた時点で調教師の池江泰寿は「7割までは体調は戻った。これなら競馬が出来る」と判断し出走を決めた。

6月24日宝塚記念。
天皇賞での惨敗や状態が完調には程遠いにも関わらずファンは1番人気にした。
しかし、単勝オッズは3.2倍と確実に信頼は落としていた。

ここを勝つか負けるかでは大きな違いをもたらす、オルフェーヴルにとってはターニングポイントだったかもしれない。

ゲートが開きオルフェーヴルは無理をせず出たなりで中団からレースを進めて行く。
幸い前に馬がいて壁は作れた。
全体的には平均的なペースで流れて行った中、有力馬は早めに外に進出して行くのだが、オルフェーヴルと池添謙一は最後の直線まで追い出しを我慢した。
他の人気馬が内の悪いとこを嫌い挙って外に出す中、池添謙一は迷わずオルフェーヴルを敢えて馬場の悪い内に入れたのだ。
オルフェーヴルは池添謙一のアクションに走りで応えた。
前走の影響を感じさせない走りを見せ、見事復活の勝利であった。

やはり、オルフェーヴルの底力は並のものではなかった。

このレースの後にフォア賞をステップに凱旋門賞へ向かう事が正式に発表された。
また、現地での鞍上については主戦の池添謙一ではなく、フランスリーディングジョッキーのクリストフ・スミヨンに決まったことも合わせて発表された。

8月に帯同馬のアヴェンティーノと共に日本を出発し、9月16日にフォア賞を迎えた。

頭数は5頭と少頭数立てとなり、折り合いに難があるオルフェーヴルがどのようなレースを見せるかが注目であった。
スタートはやや立ち上がるように出て行きそのまま後方から進め行く。
最初は行きたがるような素振りを見せていたオルフェーヴルだが、徐々に落ち着き最後方で折り合いをギリギリ付けていた。

フォルスストレートを抜けて、スミヨンは最内に進路を取って行ったのだ。
アヴェンティーノの内から鋭く抜け、追いすがるヨーロッパの馬たちを退け遠征初戦を勝利で飾った。
多少折り合いを欠く場面はあったが、それでもこの頭数での競馬を我慢して勝てたことに意味があり、一躍凱旋門賞の主役に躍り出たのであった。


2012年10月7日フランスロンシャン競馬場。
第91回凱旋門賞。
その瞬間を見届けようと日本から多くのファンが現地に足を運び、日本でも様々な媒体で凱旋門賞が放送されており、
もはやオルフェーヴルの勝利を信じてやまなかった。
エルコンドルパサーやディープインパクトの雪辱を晴らすのは、もはやオルフェーヴルしかいなかった。
有力馬の回避によりオルフェーヴルにとってはこの上ないチャンスだった。

大外枠からスタートし、やはり折り合いが課題であった。
スミヨンはそこから内入れ前に壁を作りオルフェーヴルと折り合いを付けていた。
位置取りは後方から2・3番手という位置だった。
進路を見つけるとオルフェーヴルはすぐに行きたがったがスミヨンはまだ我慢させていた。
直線で外に出すと、オルフェーヴルは馬なりで先団に取り付いていった。
そこから、満を持して追い出したクリストフ・スミヨン。

確実に抜けた。

数馬身のリードを保っていた。

オルフェーヴルが勝ったと思った。

日本競馬の悲願達成と全ての人が思ったその時であった・・・


オルフェーヴルがラチに向かって行ってしまいまともに追えなくなってしまった。
残り50m。
「ガンバレ。オルフェーヴル」
それしか声援は送れなかった。

そして、最後はフランスの牝馬のソレミヤに差され2着に敗れてしまった。
栄光はスルスルと手からこぼれ落ちて行ってしまった。
オルフェーヴルでもダメだった。
絶望感を感じ、すぐに現実を受け止めることは到底出来なかった。

それでも、調教師の池江泰寿は「また戻ってくる」と力強く語り、その挑戦がオルフェーヴルである事を願った。

絶望の凱旋門賞から1ヵ月半後、オルフェーヴルはジャパンカップへの出走を決めた。
そのジャパンカップには牝馬三冠のジェンティルドンナも参戦を表明しており、史上初の牡馬・牝馬の三冠馬対決が実現した。
鞍上は池添謙一に戻った。

凱旋門賞からわずか1か月半と言う事もありオルフェーヴル自身の調子は完璧ではなかった。
おまけにここでも大外からの発走。
この年6戦の内実に5度目の大外枠だった。

ビートブラックが引っ張る展開を、ジェンティルドンナは3番手から、オルフェーヴルは中団やや後ろからの追走となった。
道中は大きく引っ掛かる事もなく池添謙一と息の合った所を見せていた。
後方にいたオルフェーヴルだが、直線を向いた時には3番手にいた。
坂を上って追い出し、内にいたジェンティルドンナをビートブラックがの後ろに閉じ込めたかのように見えたが、オルフェーヴルは外に振られてしまいバランスを崩し失速してしまい、結果はハナ差及ばず2着であった。

このレースは20分の審議の結果オルフェーヴルが1着になる事はなかった。

有馬記念への出走も注目されていたが回避を発表し休養に入った。
と同時に、翌2013年も現役続行が表明された。

2013年は中距離の大阪杯から始動した。
単勝1.2倍の圧倒的人気。
スタート後、いつも通り後方からレースを進めて行くオルフェーヴル。
ひどく掛かるようなことは無くなっていた。
3コーナー過ぎから動き出すと直線前に先団に取り付くのはあっという間であった。
この頃のオルフェーヴルのコーナーを回っていく速さはさらに増しているように見えた。
ショウナンマイティと1馬身差だがキッチリ勝利。
決め手勝負では負ける事はなかった。

鞍上の池添謙一は凱旋門賞の乗るためにロンシャンに遠征したのだが、無情にもフランスでは2年連続クリストフ・スミヨンが指名された。

オルフェーヴルは天皇賞(春)を回避し宝塚記念に向けて調整がされていた中、その間に肺出血を起こしてしまい宝塚記念回避が決定し、今後のローテーションも一旦白紙になったが、その後再び凱旋門賞挑戦が発表された。
この年はキズナがダービー馬として初めての参戦を表明しており、今年こそは悲願達成の期待があった。

オルフェーヴルのステップレースには前年と同じくフォア賞が選ばれた。
最内からスタートしたオルフェーヴルは早め3番手からの競馬になった。
キズナの帯同馬ステラウインドの逃げをすんなり追走し、直線を向いてステラウインドの外に出すと300mまで仕掛けを我慢し、後は他馬を寄せ付けず快勝。
危なげないレースを見せ快勝し、昨年のリベンジを果たすためのレースとしては文句なしだったし、好位でレースを進めて勝てたのは期待が膨らむだけであった。

昨年の忘れ物を取るべく迎えた第92回凱旋門賞。
オルフェーヴルは1番人気での出走となった。
ライバルはキズナと無敗でフランスオークスとヴェルメイユ賞を制したトレヴであった。
オルフェーヴルとトレヴの間には実に5?の斤量差があった。

前走の競馬ぶりから好位で競馬をすると思っていたが、ゲートが開いてスミヨンが位置したのは中団であった。
トレヴ、キズナはオルフェーヴルの後ろにいた。
フォルスストレートでトレヴが早くも仕掛けていく、それを見ていた武豊とキズナも仕掛けていく。
2頭に外から被せられたオルフェーヴルは、トレヴとキズナの間を割ってくるが、トレヴが引き離しにかかりオルフェーヴルは追っていくが5馬身差をつけられてしまい2年連続の2着になってしまった。
昨年とは違い、この年はヨーロッパの馬の本物の強さを見せられたレースで完敗であった。

オルフェーヴルはこの年での引退が決まっていた。
その最後のレースには有馬記念が決まった。

最後の鞍上はもちろん池添謙一。
1から競馬を教え込みオルフェーヴルと紡いだ絆も次で最後。
喜びや悔しさを胸に共にレースに挑むのであった。

状態に関しては昨年とは違い至って順調に来ていた。


そして、泣いても笑っても最後のレース。
2013年12月22日第58回有馬記念。
中山競馬場に集まった12万人のファンは1.6倍と言う支持でオルフェーヴルを迎えた。

ゲートが開き最後のポジションは後方3番手。
いつものオルフェーヴルポジションであった。
オルフェーヴルは池添謙一と気持ちよさそうに走っているようにも見えた。
縦長の展開をしっかりと騎手の言う事を聞きまるで優等生になったかのような折り合いを見せていた。

3コーナー入口からオルフェーヴルは動き出した。
最後くらい思いっきり走らせてあげようと言う騎手の計らいに応えるように、オルフェーヴルは4コーナーで先頭に躍り出たのだ。
そして、3年半共に戦って来た人馬の最後の直線。
池添謙一はオルフェーヴルを力いっぱい追った。
オルフェーヴルはそれに走りで応え、真っ直ぐ走った。
今までわがままだった馬が初めて本気で走ったのだ。
誰も付いて来れなかった。
終わってみれば8馬身差の圧勝で自身の最後のレースを飾った。

最後の直線はオルフェーヴル自身の「謙一。じゃ、最後くらい本気で走ってやると」と言わんばかりのその走り。
オルフェーヴル自身もこれが最後のレースだと分かっていたのかもしれない。
そして、それは自分の背中を許すのは池添謙一だけと言うシグナルであったかもしれない。

過去の6頭の三冠馬は三冠レース全てで1番人気であった。
しかし、オルフェーヴルは皐月賞で4番人気と他の三冠馬に比べれば大きな期待は掛けられていなかった。
能力の違いで三冠馬は生まれる。
優等生が三冠馬になる。

しかし、オルフェーヴルと言う馬は人々の努力が実を結んだ異質な三冠馬ではないだろうか。
能力はあるのだが、それを発揮するために人々が努力を尽くした。
そんな自分への努力をオルフェーヴルは三冠と言う結果で人々に還元してくれたのである。

ディープインパクトが優等生なら、オルフェーヴルは異端児。
しかし、どちらにも言えるのは本気で世界を勝てると夢を見させてくれたこと。
人々を魅了するその強さ。
稀代の名馬でも開けることが出来なかった凱旋門賞の扉。
今、その夢は子供たちに託されている。
きっと、オルフェーヴルも自分のような強さと速さと根性を兼ね備えた馬を世に送り出してくれることだろう。
そして、是非オルフェーヴルが成せなかった凱旋門賞制覇を成し遂げて欲しいものだ。


日本がどん底の時に現れた記録にも記憶にも残る金色の三冠馬


それが・・・


『金細工師・オルフェーヴル』なのである。

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