サクラローレルの紹介

生年月日

1991-05-08

Rainbow Quest

ローラローラ

戦績

22戦9勝

調教師

境勝太郎

騎手

横山典弘

馬主

(株)さくらコマース

生産者

谷岡牧場

解説

1996年、度重なる怪我と戦い続け、地獄の果てから這い上がり、頂点を極めた馬がいた。
THE・欧州血統。
凱旋門賞を夢見た栃栗毛の馬。

それが『サクラローレル』である。

ヨーロッパの中距離血統である、サクラローレルが目指すは3歳最高峰の日本ダービーであった。

美浦の境勝太郎厩舎からデビューしたサクラローレルは、初勝利は以外にも3戦目のダートであった。
その後も、500万を勝つまでに3戦も掛かったが、ダービートライアルの青葉賞では3着に入りダービーの出走権を手にしたのであった。
しかし、ホースマンの憧れのダービーを前にして右足に球節炎を発症してしまい、ダービーの出走は幻となってしまった。
この怪我を機にサクラローレルと怪我は切っても切れない縁となってしまうのである。

秋はセントライト記念から復帰したが8着と大敗してしまい、菊花賞出走も叶わず同い年の三冠馬のナリタブライアンと戦う事は出来なかったのだ。
その後、自己条件戦で勝利を積み重ね、明けた1995年の金杯で初重賞制覇を遂げる。
当時2月の東京で行われていた目黒記念に出走するが、2着に敗れてしまった。
天皇賞(春)を目指していたサクラローレルに、生死に関わる大怪我をしてしまうのである。
両前脚の深骨と言う膝下の中手骨を骨折してしまったのだ。

安楽死処分が検討されるほどの大怪我であったが、完全治療を目指して長い長い休養に入るのである。

怪我の治療にあてる事1年。
サクラローレルは中山記念で復帰したのだ。
それまで、主戦を務めていた小島太が引退し、新たに横山典弘とコンビを組んだのだ。
生死に関わる怪我、1年の休養明けという事あり9番人気という低評価であった。
中団からレースを進めると直線でジェニュインを差し切り勝利。
全く怪我の影響を感じさせない走りを見せ、次走を天皇賞(春)に決めたのであった。

一時はダービー制覇さえ夢見た馬の3年目で初めてのG1挑戦。
1996年4月21日第113回天皇賞(春)
人気はナリタブライアンとマヤノトップガンの2強。
サクラローレルは3番人気ではあったが伏兵の一角に過ぎなかった。

レースはマヤノトップガンが引っかかり気味に好位を追走。
それを見る形でナリタブライアン。
その内にサクラローレルといった位置取りであった。

2週目の坂の下りからマヤノトップガンが早めに進出し4コーナーで先頭に、それを見ていたナリタブライアンがマヤノトップガンを追いかける。
サクラローレルと横山典弘はその2頭を見る形で仕掛け、先に抜け出したナリタブライアンを外から差し切り見事優勝したのだ。
とうとう念願のG1馬になったサクラローレルだが、宝塚記念を回避し秋に備えて休養に入ったのだ。

そして、秋はマヤノトップガンと人気を二分したオールカマーで快勝。
そのまま天皇賞(秋)へ進んだ。
レースはスタートが合わず後方の位置取りとなってしまった。
直線を向いて、馬群にサクラローレルを入れたが進路が上手く取れずに窮屈になる場面も見受けられ3歳馬のバブルガムフェローの3着に敗れてしまったのだ。
この天皇賞の敗戦を受けて、乗り替わりも覚悟した横山典弘だが有馬記念でも手綱を取れることが決まった。

サクラローレル陣営はジャパンカップには見向きもせず有馬記念一本に絞った調整をした。
これは、常に足元に爆弾を抱えていたサクラローレルへの配慮でもあった。
そして、境調教師が定年を前にしてどうしても欲しいタイトルが有馬記念だったのだ。

陣営にとっても、横山典弘にとっても負ける事は許されない一戦であった。
天皇賞での敗戦もあったのだがファンはサクラローレルを1番人気にしたのだ。
マヤノトップガン、マーベラスサンデー、サクラローレルといった並びでレースは進み、マヤノトップガンが早々と逃げるカネツクロスを捕まえ、それのマーベラスサンデーが捉えに掛かる。
サクラローレルも3・4コーナー中間地点から横山典弘が手綱をしごきサクラローレルに気合いを付ける。
直線を向き早々にマヤノトップガンが失速、マーベラスサンデーが抜け出したところを外からサクラローレルが差し切り1着。
見事、天皇賞の雪辱を期したのであった。
境勝太郎は最後のG1を念願の有馬記念制覇で有終の美を飾ったのだ。

名実ともに日本最強馬となったサクラローレルはこの年の年度代表馬に選ばれたのだ。

7歳になったサクラローレルは有馬記念からぶっつけで天皇賞(春)連覇に挑んだがマヤノトップガンの2着に敗れた。

その後、凱旋門賞挑戦が発表され、フォア賞から凱旋門賞というローテーションも決まった。
同時に鞍上も武豊への乗り替わりも決まったのであった。

凱旋門賞を目指し渡仏。
前哨戦のフォア賞のレース中に、屈腱不全断裂を起こしてしまう。
フランスの獣医から「予後不良に相当する怪我だ」と告げられたが、最悪に自体は免れ1997年9月に引退が発表された。

能力はありながら、元来の脚元の弱さと戦い、度重なる怪我とも戦い続け遂に頂点へと駆け上がった『サクラローレル』。
もし、この馬に怪我がなければフランスでも素晴らしい成績を収めていただろうと思わせてくれる馬であった。

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