テイエムオペラオーの紹介

生年月日

1996-03-13

オペラハウス

ワンスウエド

戦績

26戦14勝

調教師

岩元市三

騎手

和田竜二

馬主

竹園正繼

生産者

杵臼牧場

解説

未だかつて日本競馬に於いて、古馬中距離G1を一年間で全て勝った馬は1頭しかいない。

2000年に重賞8連勝で8戦8勝と無敵を誇った馬こそ
『テイエムオペラオー』である。

テイエムオペラオーの生涯獲得金額は18億円。
これは未だ世界最高の獲得金である。
さぞ、購入金額も高かったことであろう。
しかし、この馬のセリではオーナーの竹園正繼に競り合うものが現れず僅か1000万であった。

栗東の岩元市三厩舎に入り鞍上には岩元厩舎所属の若手和田竜二に決まった。

初勝利まで3戦を要し500万を勝ち初めての重賞は阪神での毎日杯。
好位から抜け出す競馬で4馬身差の圧勝。
しかし、クラシックに一次登録がなかったテイエムオペラオーは追加登録料200万を払って皐月賞出走を決めた。

1999年4月18日第59回皐月賞。
ここには、2冠牝馬ベガの初仔のアドマイヤベガ。
きさらぎ賞、弥生賞を連勝してきたナリタトップロードが人気の中心で、テイエムオペラオーは5番人気であった。
ナリタトップロードが中団に、アドマイヤベガがその後方、テイエムオペラオーがその外にいた。
4コーナー手前から有力馬が進出を開始し、ナリタ、アドマイヤ、テイエムの順に外に馬を持ち出した。
内から、オースミブライトが抜け出しナリタトップロードが追いすがる一番大外から飛んできた栗毛がテイエムオペラオーだ。
鞍上和田竜二にとって初めてのG1制覇だった。

皐月賞馬となったテイエムオペラオーはダービーに出走。
もちろん、ナリタトップロード、アドマイヤベガも参戦。
この頃から、1999年のクラシックは3強になっていた。

人気はナリタトップロードが1番人気、続くアドマイヤベガ、テイエムオペラオーと続いた。
3強の位置取りは皐月賞とは異なり、テイエム、ナリタ、後方からアドマイヤの順だった。
4コーナーを向き、まずはテイエムオペラオーが抜け出す。
それをナリタトップロードが追う。
坂を上り、ナリタトップロードが先頭。
1番人気に応え渡辺薫彦の悲願達成かと思われたそのとき、
大外から武豊とアドマイヤベガが飛んできたのだ。

まさに武豊マジック。
若武者の二人はまざまざと武豊の力を見せつけられたのだ。

秋は京都大賞典から始動。
ツルマルツヨシ、メジロブライトの後の3着になり菊花賞に向かう。
ここでの人気は、アドマイヤ、テイエム、ナリタの順だった。
中団からのテイエムオペラオーにとっては辛い展開となった。
前にナリタトップロード、後ろにはアドマイヤベガと両方に気を使わなければなくなってしまった。
ダービーの残像からアドマイヤベガの警戒していた和田竜二だが、それを尻目にナリタトップロードの渡辺薫彦が4角先頭からそのまま押し切り見事雪辱を果たした。
これで、3頭で1冠ずつ分け合う結果となった。

ステイヤーズステークス2着の後に有馬記念参戦を表明。
ここには菊花賞馬のナリタトップロードも参戦していた。

レースは最後の直線で一旦先頭に立ったものの、スペシャルウィーク・グラスワンダーの当時最強の2頭に屈し3着。
しかし、この3着がテイエムオペラオーが持っていた元来の勝負根性に火を付けたのだった。

迎えた2000年。
テイエムオペラオーは京都記念から始動。
ここでナリタトップロードに勝利。実にこの勝利は皐月賞以来のものだった。
続く阪神大賞典も勝ち、天皇賞(春)へ進むと今まで勝ち味に遅かった馬が一変する。
スンナリ好位に付ける競馬も板につき、この天皇賞も危なげなく勝利。

テイエムオペラオーと言う馬は、着差はないが最後には必ず先頭でゴールを駆け抜ける馬になっていたのだ。
春のグランプリ宝塚記念では、グラスワンダーと再戦が注目されていたが先に抜けたメイショウドドウを差し切りクビ差の勝利。
この時点ではまだ伏兵扱いだったメイショウドドウとはここから永遠のライバル関係になるのである。
これで春を終えて4戦4勝であった。

秋は京都大賞典から動き出した。
ここも勝利。着差はアタマ。

連勝記録をさらに伸ばしての天皇賞(秋)、様々な懸念材料から単勝が2.4倍であった。
しかし、そんなことは関係なく力強く抜け出しメイショウドドウに2馬身半の快勝。
次のジャパンカップ。
単勝は1.5倍。
もう負けるなど想像は出来なかった。

先に抜けているメイショウドドウに並びかけると外から、ファンタスティックライトの猛追も退けて勝利。
着差はクビ・ハナ。
これで当時の重賞連勝記録を7と更新した。

そして、古馬秋3冠、古馬グランドスラムを賭けての2000年12月24日の第45回有馬記念。
最初のコーナーからメインスタンドにかけて狭くなる所があり、1コーナーを回るころには後方3番手の位置取りであった。
4コーナーを前に和田竜二が手綱をしごく。
しかし、動きが悪いテイエムオペラオー。
伏兵ダイワテキサスが先に抜けたところを、坂下からダイワとメイショウの間を割りテイエムオペラオーが突き抜けてきたのである。
着差はハナ。
どうあれテイエムオペラオーは勝った。

過去、誰も成し遂げられなかったグランドスラムを年間無敗と言うおまけつきで達成したのだ。
古馬3冠でさえその後1頭しか出ていない、しかしグランドスラムは二度と出ないであろう。
そんな気がしてならない。

何はともあれ満票で2000年の年度代表馬になったテイエムオペラオー。

翌2001年、テイエムオペラオーの強さに嫉妬をした競馬の神様が絶対的王者に幾多の試練を与え、歯車を徐々に狂わすのである。

この年も現役を続けるテイエムオペラオーは大阪杯から始動。
全ての関係者がテイエムオペラオーの強さに嫉妬していた。
そう思わざるを得ないくらいの執拗なマーク。
四方八方を馬で囲まれてしまい、行き場をなくし4着に敗れてします。

完全にテイエムオペラオー包囲網が出来上がっていた。

そんな中迎えた第123回天皇賞(春)
最内から好スタートを切ると馬に任せて道中は中団で待機。
ナリタトップロードが前、メイショウドドウが後ろと、菊花賞と似たような隊列であった。
しかし、絶対的自信と信頼関係からなる和田とオペラオーは同じ轍を踏むことはなかった。
坂を下ってから和田がテイエムオペラオーを鼓舞するが、動かない。
ずぶくなったのか、馬が勝ち方をしっていて動かないかは分からないが、結果最後は先頭でゴールしているのである。

メジロマックイーン以来の天皇賞(春)連覇と天皇賞を3勝しているのはテイエムオペラオーのみである。
これでG1は7勝。
だれもがシンボリルドルフの持つG17勝の記録の更新は時間の問題と思われた。
しかし、競馬の神様はそれを許しはしなかった。

続く、宝塚記念では最終コーナーで和田竜二が立ち上がる致命的な不利を受けてしまいメイショウドドウの2着になってしまう。
神の手によって狂わされた歯車を自力で戻すのはもはや不可能であった。

秋の京都大賞典はステイゴールドの失格により繰り上がり1着。
勝ちには勝ったがとても喜べる勝利ではなかった。

天皇賞4連覇と言う偉業に挑んだ、第124回天皇賞(秋)
テイエムオペラオーのライバルになるだろうと目されていた3歳馬のクロフネがアグネスデジタルの急遽の参戦により除外を余儀なくされた。
しかし、この参戦もこの馬の運命を変えた。
レースはサイレントハンターが出遅れメイショウドドウが逃げスローペースに。
早めにメイショウドドウを捉え抜け出し、確勝を期したその時大外からアグネスデジタルが差し切ったのだ。
馬体を合わせれば負ける。
あえて合わしに行かなかった四位洋文の好プレーだ。

これでシンボリルドルフの記録の塗り替えるのに残されたのは2戦。

ジャパンカップでテイエムオペラオーに襲い掛かったのは、その年のダービー馬のジャングルポケットであった。
着差はクビ差。
今までテイエムオペラオーが制してきた着差を凌げなくなっていたのだ。

記録への最後の挑戦有馬記念。
しかし、ここでは3歳馬のマンハッタンカフェから遅れて5着に敗れた。
遂にシンボリルドルフの記録を超えることが出来なかった。

強さは見せないが必ずゴールでは先頭にいる。
着差も僅かで強いのに強さが際立ちにくい。

そして、競馬の神はこの馬の完璧な強さに嫉妬した。
そして、あらゆる記録を塗り替えるであろうと思われたこの馬に数々の刺客を送った。

神が嫉妬し最後まで微笑まなかった馬

それが『テイエムオペラオー』なのだ。

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