トウカイテイオーの紹介

生年月日

1988-04-20

シンボリルドルフ

トウカイナチュラル

戦績

12戦9勝

調教師

松元省一

騎手

岡部幸雄

馬主

内村正則

生産者

長浜牧場

解説

1990年12月、世間はオグリブームで沸いている最中1頭の馬が中京でデビューを迎えたのであった。
名は『トウカイテイオー』
父は7冠馬シンボリルドルフである。

当日の中京競馬場の馬場状態は不良。
にもかかわらず2着に4馬身の差を付け勝利。

続くシクラメンステークス、若駒ステークスとオープンを連勝し、迎えた皐月賞トライアル若葉ステークス。
1.2倍のダントツの支持を受ける。
ここでも他馬を寄せ付けず危なげなく勝利。
無敗で皐月賞へと駒を進めたのだ。

迎えた、1991年4月14日第51回皐月賞。
前年の阪神3歳ステークスの覇者・イブキマイカグラ、トライアルスプリングステークスを勝ったシンホリスキーを抑えてトウカイテイオーは1番人気になった。
重賞勝ちはおろか、重賞初出走がG1でも関係なかったのである。
それだけ、トウカイテイオーの力が抜きん出ていたのである。

大外18番枠からスンナリと先団に取り付き、4コーナー手前から馬なりで大外を徐々に上がって行き坂を上ってから追い出し、最後は追いすがるシャコーグレイドを1馬身押さえてのゴールだった。
着差は僅かだが永遠に詰まる事のない1馬身にも見えた。

これで、トウカイテイオーは父シンボリルドルフと同じ無敗での皐月賞制覇となった。
と同時に、親子二代の無敗での三冠制覇の歴史的偉業の達成も囁かれていた。

次は最大の目標である日本ダービーである。
皐月賞を圧勝したトウカイテイオーの強さを疑う者はおらず、ダービーで1.6倍と当然の1番人気であった。

1991年5月26日第58回日本ダービー。
20頭立てで行われた最後の日本ダービー。
トウカイテイオーは皐月賞同様大外の20番枠に入った。当然の単枠指定。

大外からのスタートもスンナリ6番手をキープ。
外々を回るのも、そんな事はお構いなしと鞍上の安田隆行はその位置をキープする。
誰もが大外枠は嫌がるし、早めに内に入れたいものだが鞍上の安田はそんな小細工さえ要らないと思ったのであろう。
4コーナーから直線に向くところでトウカイテイオーは一気に加速する。
これまでまともに鞭を使わなかった安田も今回は鞭を使いトウカイテイオーを本気にさせる。
坂を上ってからはトウカイテイオーの独壇場であった。
秋に菊花賞を勝つレオダーバンに3馬身差を付けての快勝。
親子二代の無敗のダービー馬。
その先の親子三代無敗の三冠馬がいよいよ現実味を帯びてきた。

正にこの年のダービーは「トウカイテイオーの為のダービーであった」

秋に訪れるであろう、競馬史上類を見ない記録への挑戦。
この高い頂きでもトウカイテイオーなら文句なしと言うのがファンの思いであった。

しかし、そんな夢を打ち砕くかのような知らせが競馬界に飛び込んできたのだった。
“トウカイテイオー骨折。全治半年”
この瞬間、全ての偉業が泡となって消えていったのだった。
しかし、トウカイテイオーの悲運はこれだけでは終わらなかったのである。

そして、この年無敗での二冠が決め手となり年度代表馬に選ばれたのであった。

1992年、復帰最初のレースには大阪杯が決定した。
それまで主戦だった安田隆行が調教師転身への事などもあり、このレースから岡部幸雄にスイッチされた。
4月5日大阪杯。
このレースには、同世代のイブキマイカグラや有馬記念を制したダイユウサクなどが出走していたが、そのような相手には見向きもせず、鞭を使わないどころか一瞬も追うことなく馬なりで圧勝してしまうのである。

この勝ちっぷりに、第105回天皇賞(春)はトウカイテイオーvsメジロマックイーンの一騎打ちの様相を呈していた。
世間の注目はここの一点だった。
無敗の二冠馬の意地とディフェンディングチャンピオンとしてのプライドのぶつかり合い。
見ているファンも2頭の叩き合いを想像していた。

しかし、結果は・・・

トウカイテイオーが5着に敗れ、それを尻目に突き離しにかかったメジロマックイーンが天皇賞(春)連覇を達成した。
テイオーの負けに唖然とした・・・。

このレース後、トウカイテイオーに骨折が判明する。
これで春シーズンを休むことになると同時にこれが、自身2度目の骨折であった。

秋の復帰戦は天皇賞(秋)。
その間の調整は決して順調ではなっかったが、なんとか出走に漕ぎ着けた。
正直、間に合ってはいなかったし、トウカイテイオーでもこのハンデは覆すことが出来なかった。
レースではジョッキーとの折り合いが合わず直線で失速し7着。

続くジャパンカップでは、英2冠馬のユーザーフレンドリーを筆頭に各国の名馬が一堂に東京競馬場に会したのである。
上位人気馬は全て外国馬で、日本馬の最上位人気はトウカイテイオーの5番人気であった。
大外枠からスタートすると、好位5番手をキープし鞍上との息も合い手ごたえ良く4コーナーを回ると、200mから抜け出すとナチュラリズムとの叩きいを制し見事に復活を印象付ける勝利であった。
この勝利が、日本の競走馬で初の国際G1優勝となった。

年末の第37回有馬記念では、ファン投票1での選出となり1番人気での出走となった。
鞍上には騎乗停止中の岡部幸雄に変わり田原成貴に決まった。
しかし、レースではいつもの先行策とは異なり終始後方待機なってしまい、そのままの11着の大敗を喫してしまった。

翌年も現役続行を決め、宝塚記念も目標に調整をされていたが、またしてもトウカイテイオーを骨折が襲ってしまう。これで、自身3度目の骨折。
宝塚記念を自重し復帰戦は、364日ぶりの有馬記念に決まった。
常識破りの1年ぶりのG1出走。それも有馬記念。
誰もが勝ち負けは無理だと思った。
鞍上の田原成貴でさえそう思った。

そして、1年ぶりのターフ。
第38回有馬記念。
この年のダービー馬のウイニングチケット、菊花賞馬のビワハヤヒデ、牝馬二冠のベガ、前年の菊花賞馬のライスシャワーなど、まさのチャンピオン決定戦にふさわしいメンバーであった。

さすがに、1年ぶりのG1では荷が重いのかトウカイテイオーは4番人気であった。
メジロパーマーが引っ張る展開をトウカイテイオーは6番手でレースを進める。
その前に1番人気のビワハヤヒデがいたのだ。
先にビワハヤヒデが仕掛けていき、それをトウカイテイオーが追いかける。
直線に向いて、ビワハヤヒデを追いかけるトウカイテイオー。

さすがに1年ぶりで勝つのは・・・

そんな思いが交錯する中、一完歩ずつビワハヤヒデに迫る。
これがダービー馬の意地なのだろう。
坂を上がってビワハヤヒデを捉えて1着でゴールしたのだ。

1年ぶりの出走での奇跡の復活劇。
こんなことがあるんだろうか。

いや。あるんだ。

競馬に絶対はないが、奇跡はある。

それを自らで体現した馬が『トウカイテイオー』である。

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