ウオッカの紹介

生年月日

2004-04-04

タニノギムレット

タニノシスター

戦績

26戦10勝(うち海外:4戦0勝)

調教師

角居勝彦

騎手

武豊

馬主

谷水雄三

生産者

カントリー牧場

解説

1937年「ヒサトモ」、1943年「クリフジ」の2頭に共通すること
それは、“牝馬による日本ダービー制覇だ”
それから、牝馬がダービーを制覇することはなく時が流れて2007年。
64年ぶりに1頭の牝馬が歴史を変えた。


常軌を逸した牝馬『ウオッカ』


北海道は静内のカントリー牧場で生まれたウオッカの父は2002年のダービー馬のタニノギムレット。
ダービーを強烈な末脚で制しながらも屈腱炎を発症してしまい、志半ばで引退を余儀なくされてしまった。

その昔、カントリー牧場と言えば名門の牧場であった。
特に1960年代は、マーチス、タニノハローモア、タニノムーティエ、タニノチカラなど2頭のダービー馬初めG1馬を輩出してきた。
しかし、その後は低迷してしまい2000年代に入り、ようやく2頭のダービー馬を世に送り込んだ。
名門牧場の復活であった。

そんな牧場で2004年に生まれたウオッカだが、評判が上がって行ったのは栗東に角居厩舎に入厩してからだった。
入厩したての2歳馬が、デルタブルースやハットトリックなどのG1馬を相手に互角の調教を行っていたのだ。

10月の京都競馬場でデビューしたウオッカはスタートからハナに立ちそのまま逃げ切り勝ちを収めてまずは1勝。
続く500万の黄菊賞は最速の上りを使うも逃げ馬を捕まえられず2着に敗れた。
3戦目に選んだのは、2歳女王決定戦の阪神ジュベナイルフィリーズになった。
ここでの1番人気は、小倉2歳ステークス、ファンタジーステークスと圧倒的なスピードを武器に勝ってきたアストンマーチャンだった。
この年の暮れから阪神競馬場は新コースになり、1600mの外回りはスタート位置が変わり枠による有利不利が無くなっての初めてのG1だった。
その代わりに実力が反映されやすいコースになっていた。
若干距離不安があったアストンマーチャンは3番手の競馬でウオッカは中団からレースを進めた。
先に抜けたのはアストンマーチャンだった。
残り200mを過ぎてもアストンマーチャンが粘り込を図る所を、馬場の真ん中を通りウオッカが徐々に迫りゴール版手前でアストンマーチャンを差し切りG1初制覇を飾った。
ここで休養かと思ったら、なんと翌月のオープンエルフィンステークスに出走してきた。
斤量は他の馬より2㎏思い56㎏だったが、構わず3馬身差の勝利。

そこから、少しの休養を挟み桜花賞トライアルのチューリップ賞に進んだ。
そこには、永遠のライバルと語り継がれることになる「ダイワスカーレット」との初めての顔合わせになった。
人気はウオッカとダイワスカーレットの2強対決。
レースはダイワスカーレットが引っ張りウオッカは5番手から前を見ている展開。
ダイワスカーレットの安藤勝己は最後の直線でウオッカが並んでくるのを待った。
そして、外に並びかけてから追い出した。
ウオッカの四位はダイワスカーレットをクビ差制し勝った。
が、まるでこの勝ちは勝てせてもらったかのような勝ちで、安藤勝己とダイワスカーレットはこのまま終わらなかった。
これが、歴史に残る牝馬2頭による戦いの始まりである。

第67回桜花賞では、圧倒的1番人気はウオッカでダイワスカーレットは2番人気だった。
枠はダイワスカーレットが大外18番枠でウオッカは14番枠からのスタート。
改修前の枠なら両馬とも致命傷だった。
スタートから3コーナーまでが長い新コースで、ダイワスカーレットはじんわりと外から3番手に位置取り、ウオッカはダイワスカーレットをガッチリとマークする形で5番手から進んでいく。
直線を向いて、残り400を過ぎてウオッカはダイワスカーレットに迫っていく。
チューリップ賞と同じ展開で差し切ると思っていたが、そこからダイワスカーレットが二の脚を使って最後はウオッカを突き離したのだ。
これはチューリップ賞では見られなかった展開であり、安藤勝己はウオッカの四位洋文には見せなかったのだった。
まさに、これは騎手安藤勝己がしてやったのだ。

これで1勝1敗の五分になった両馬の再戦はオークスだと思っていた矢先し、ダイワスカーレットのオークス回避とウオッカのダービー参戦が決まった。
牝馬のダービー参戦は1996年のビワハイジ以来11年ぶりの参戦になった。

そして迎えた2008年5月27日第74回日本ダービー。
ダントツの1番人気に支持されたのは、皐月賞3着のフサイチホウオー、2番人気は皐月賞馬ヴィクトリー、3番人気にウオッカであった。
しかし、オッズは10.5倍とそこまで期待は高くなかった。
アサクサキングスが逃げを打ちそのペースは1000mが60.5とそこまで遅くはない。
道中も遅くて12.7と決してペースを極端に落としている訳でもないが、ヴィクトリーが出遅れ、フサイチホウオーが引っかかる場面を見受けられた。
淡々と逃げたアサクサキングスが先頭で直線を向く時には、3番手集団とは5馬身くらいの差が付いていた。
粘るアサクサキングス、ここからは1番人気のフサイチホウオーが伸びてくると思っていたが、飛んできたのは黒い帽子だった。
ウオッカが馬場の中央から鋭い脚を見せアサクサキングスを捉えて、64年ぶりにダービーを制覇したのだった。
上りは33.0と最上級の切れ味だった。
牝馬の切れ味は短い距離などでは見受けられるが、中距離でのこの上がりはまさに圧巻だった。
その年を代表する牡馬を相手に3馬身差の着差を付けての圧勝劇で、戦後初の牝馬のダービー馬が誕生したのだった。

牝馬によるダービー馬となったウオッカは宝塚記念への参戦を決めた。
3歳牝馬の参戦は11年ぶりのことだった。
当日は雨がパラつき馬場は稍重と悪くなっていた。
1枠からスタートしたウオッカは、中団の内で我慢させて最後の直線ではそのまま内を突き仕掛けるが、馬場の影響や古馬の壁などもあり8着と惨敗を喫してしまったのだ。

秋には海外挑戦などもあったが、頓挫があり遠征は断念し国内に専念することにした。
トライアルを使わずに秋華賞へと向かった。
ダイワスカーレットとの桜花賞以来の再戦。
ファンはウオッカを1番人気にした。
しかしダイワスカーレットとのオッズの差は僅かであった。
持ち前のスピードで2番手を取るダイワスカーレットに対し、ウオッカは後方からの展開になった。
4コーナー手前から抑えきれない手ごたえでダイワスカーレットが先頭に立つとそのまま1着となった。
ウオッカは後方から最後は詰め寄るも2着のレインダンスを差せずに3着に終わった。

エリザベス女王杯への出走を決めていたウオッカだが当日に軽い跛行が判明し回避になった。
ウオッカがいなくなったエリザベス女王杯では、ライバルのダイワスカーレットが古馬も撃破し勝利した。

エリザベス女王杯を回避したウオッカが次に出走したのがジャパンカップ。
ダービーと同じ舞台の府中の2400mだ。
2番人気に推され、末脚を活かすために後方からレースを進めて最後追い込んでくるも4着が精一杯だった。

この年の有馬記念ではファン投票1位となり出走した。
外枠発走を相まって折り合いを欠く場面も見受けられた。
後方待機で、3コーナー過ぎから上がっていくが最後の直線では全く伸びずに11着と大敗した。
ここで2着に入ったダイワスカーレットに最優秀3歳牝馬の座を奪われた。

年が明けて京都記念に出走してウオッカ。
後方から追い込むも6着と掲示板にすら載れなかった。
これでダービーから6連敗と実に厳しい結果になっていた。

その後ウオッカは戦いを海外に移した。
ドバイデューティーフリーに武豊と新コンビで挑んだ。
が結果は4着と伴わなかった。

日本に帰ってきたウオッカはヴィクトリアマイルに出走。
1番人気に支持されるも、最後はエイジアンウインズを捕まえ切れず2着だった。
歯がゆい。
そんなレースが続いていた。

ここから徐々にマイルから2000mを中心に出走していく事になる。

次は安田記念に向かった。
ダービー馬の安田記念参戦は極めて異例だった。
最後のダービー馬の出走は1989年のサクラチヨノオーまで遡らねばならない。
そして、今までとは一変しこのレースでは3番手からレースを進め直線では鋭く抜け出し2着に3馬身半を付け勝利。
実にこれがダービー以来約1年ぶりの美酒だった。

宝塚記念のファン投票ではまたもや1位に。
しかし、陣営は回避を表明し休養に充てた。

夏を越したウオッカは秋は毎日王冠からの始動を決めた。
圧倒的1番人気になり、スタートからハナを切って行くが最後の最後でスーパーホーネットに差され2着。
ひと叩きしウオッカは天皇賞(秋)に向かうのであった。

そして、ここで牝馬の枠を超えた2頭による世紀に残る死闘が繰り広げられるのである。

2008年11月2日第138回天皇賞(秋)
このレースは、ウオッカ、ダイワスカーレット、その年のNHKマイルカップとダービーの二冠馬のディープスカイによる3強対決だった。
ダイワスカーレットは大阪杯からの休み明けであった。

午後3時40分運命にゲートが開いた。
7番枠から飛び出したダイワスカーレットがハナを叩いて逃げていく。
ディープスカイは好位集団、ウオッカはその後ろといった展開。
ダイワスカーレットが作り出したペースは1000mを58.7とやや早め。
この早いペースを刻んだダイワスカーレットだが、坂を上って満を持して仕掛ける。
半年以上休んだとは思えない反応を見せ、後続に差を付け始める。

馬場の真ん中からディープスカイが迫り、外からウオッカが並びかける。
完全にこの2頭のマッチレースかと思いきや、内からもう一回ダイワスカーレットが差し返す。
残り数十メートルで外からウオッカがダイワスカーレットに並びかけたところがゴールだった。

どっちだ!?

肉眼では分からなかった。
しかし、一つ分かっているのは1:57.2のレコードが出た事だった。
15分弱の写真判定の末、1着の掲示板に映し出された番号は・・・

“14”

ウオッカの勝ち。
着差は僅か2cmだった。

ジャパンカップに進んだウオッカだが、ここでは折り合いを欠いてしまい3着に敗れてしまう。
この頃から2400mでは終始折り合いを欠く場面が見受けられなかなか勝てなくなっていた。

有馬記念では2年連続ファン投票1位だが回避。
3歳以降、ウオッカは1度も有馬記念には出走しなかった。

この年の年度代表馬に選ばれエアグルーヴ以来の快挙だった。


明けて、5歳になったウオッカはまたもやドバイに向かった。
ドバイデューティーフリーの前哨戦であるジュベルハッタ(当時G2)に出走した。

結果は5着、その後のドバイデューティーフリーでは重馬場が影響し7着になった。

昨年同様帰国後はヴィクトリアマイルに出走。
ダントツの1番人気に支持され、好位から抜け出すと瞬く間に後続に差を付け7馬身差の圧勝だった。
続くレースは連覇を目指して安田記念が選ばれた。
ライバルはディープスカイただ1頭だった。

2枠からスタートしたウオッカは中団の7番手、ディープスカイはそれを見る形で進んでいった。
直線を向いてから、抜けようと思ったスペースにディープスカイが進路を取り外に向かうウオッカ。
しかし、まだ進路は見当たらない。
気が付けば残り200mを切っていた。
スーパーホーネットとサイトウィナーの間入った行ったが、一度スーパーホーネットに馬体を当たられたがウオッカが逆にスーパーホーネットに馬体を当てに行き前が開いたころは残り100m。
すでに、ディープスカイが抜け出し勝負ありと思っていたら、その残り100mで鬼脚を発揮しディープスカイを差し切ってしまった。
93年のヤマニンゼファー以来の安田記念連覇になった。

宝塚記念でもファン投票1位になったが回避を発表した。

秋は昨年と同じ毎日王冠から始動した。
昨年同様逃げる形になってしまし、最後は8歳馬のカンパニーに差されてまたもや2着。

連覇を目指した天皇賞。
昨年とは変わり後方からレースを進め、最速の上りを披露するも8歳馬のカンパニーの3着に敗れてしまった。

続く、ジャパンカップではクリストフ・ルメールが手綱を取った。
折り合いに不安のあるウオッカをどう乗るのかが注目だった。

好位でレースを進め、あの引っかかり癖のあるウオッカとしっかり折り合っている。
最後の直線では、早めに先頭にたってしまい外からオウケンブルースリが強襲してきた。
が、ここでもハナ差制し勝利。

このジャパンカップ勝利はただの勝利ではなく、G1歴代最多タイの7勝目。
そして、東京競馬場の古馬G1を全て勝つと言う空前絶後の記録を達成したのだった。

翌年もドバイ遠征を敢行。
マクトゥームチャレンジラウンド3に出走するも8着に敗れ、ドバイワールドカップも目指していた折に鼻出血を発症し引退した。


その後アイルランドに渡りお母さんとしての人生を送っている。
現役時代に鎬を削ったダイワスカーレットと共にまだ母を超える子供は出せていないが、いつか子供同士で鼻面を並べてゴールするところを見たいものだ。

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