ミホノブルボンという名馬をご存知ですか?

名前 ミホノブルボン 生年月日 1989年4月25日
マグニテュード カツミエコー
調教師 戸山為夫 騎手 小島貞博
馬主 (有)ミホノインターナショナル 生産者 原口圭二
戦績 8戦7勝
優勝 '91朝日杯3歳ステークス(G1) '92皐月賞(G1) '92日本ダービー(G1)

1991年6月、栗東の戸山為夫厩舎に1頭の栗毛の馬が入厩してきた。
父・マグニテュード、母・カツミエコーというスプリンター血統の馬であった。
生まれたときのこの馬の評価は決して高いものではなかった。

しかし、そのスプリンター血統の馬が栗東トレーニングセンターにある一つの調教施設によってクラシックを賑わす馬になるのである。

その馬こそ『ミホノブルボン』である。
キャッチコピーは「坂路の申し子」

そう。
調教師の戸山は坂路でミホノブルボンを鍛え上げ競走馬の頂点へと駆け上がる馬へと鍛え上げたのである。

1991年9月7日中京競馬場でのデビュー戦、芝1000m。
ミホノブルボンは致命的な出遅れを見せる。
しかし、直線だけで他馬をごぼう抜きにしデビュー戦を勝利で飾った。
これはミホノブルボンにとっての最初で最後の追い込みでの勝利である。

続く2戦目は東京の500万下であったが、ここではデビューから一変持ち前のスピードをフルに発揮して2番手追走から直線で少し仕掛けただけで2番手以下を突き離し6馬身差の圧勝。

圧倒的なインパクトを残した2戦から次に向かったのは3歳王者決定戦の朝日杯3歳ステークスである。
8頭立てと少頭数の2番手追走から早めに先頭に立ち、迫るヤマニンミラクルをハナ差押さえて優勝。
3戦3勝で3歳チャンピオンとなった。

ミホノブルボンには常に距離限界説が付きまとっていたのだ。
デビューが1000m、2戦目3戦目と1600mを勝ってはいるが朝日杯の勝ち方がさらに拍車をかけたのであった。
つまり、ミホノブルボンのとってはこのスプリングステークスが自身の進路を掛けた試金石であった。

短距離路線か?クラシックか?
その未来を決めたのは、持って生まれたスピードと坂路によって鍛え上げられたスタミナであった。

皐月賞トライアルのスプリングステークス。
ミホノブルボンは生涯一度の2番人気になる。
それは、やはり距離だった。
距離不安を感じたファンはブルボンをまだ評価は出来なかった。

しかし、その不安は杞憂に終わる。
このレースから京都新聞杯まで、ブルボンは一度もスタートからゴールまで先頭を譲ることなく走り抜けるのである。
当日、重馬場の中ブルボンはスタートからハナに立ちそのまま2着に7馬身差を付けゴール。
この時、ブルボンはこの中にいずれは自分の宿敵になる馬がいるなど知る由もなかったのである。

これで、進路は決まった。
もちろんクラシックへ。

1992年4月19日第52回皐月賞。
ブルボンは1番人気になり、オッズは1.4倍の1番人気。
もはや、周囲は負けるはずがないといった感じだった。
ここでもハナは譲らない。
当日の午後から降り始めた雨のせいで馬場は幾分悪くなっていた。
それでも、絶妙なペースで逃げ最後は2番手以下を突き離す余裕さえあった。
2馬身半の完勝である。
これで、前年のトウカイテイオーに続き2年連続無敗での皐月賞馬が達成した。

5月31日第59回日本ダービー。
圧倒的1番人気かと思われたミホノブルボンであったが、ふたを開けてみたら2.3倍と言うオッズだった。

ここでも、距離不安がブルボンを付きまとう。
2000mまではこなしたが、あと2ハロンは不安が残るし、外枠と言うのも影響したのであろう。
しかし、そんな周囲の不安を嘲笑うかの如くミホノブルボンは走るのである。
このレースも迷うことなく15番枠からハナを奪う。
2000m以降はミホノブルボンにとっては未知の距離。
しかし、世間の距離不安を払拭し2着に7馬身差を付けて無敗でダービー馬になったのだ。

2着に7馬身。

完璧な着差だった。
だが秋にブルボンはこの7馬身が逆転されるなどこの時は予想もしてなかったに違いない。
それくらい間違いなく完勝だった。

このレースでライスシャワーには・・・。

2400mまでは克服した。後は600mだけだ。
ミホノブルボンが目指すのは菊花賞のみ。
無敗で勝てばシンボリルドルフ以来、8年ぶりの無敗での三冠が懸っていた。

秋は、トライアルの京都新聞杯から始動。
単勝1.2倍の圧倒的人気。
負けるわけがない。とファンはもうブルボンの能力を認めざるを得なかった。
ブルボンはライスシャワーに再び勝った。
だが、着差は1馬身半。
春に7馬身あった差がここまで縮まってしまったのだ。

ブルボンの知らない間に、徐々に黒い影が近くなっていたのである。
そして、この馬こそブルボンの夢、マックイーンの夢を打ち砕くライスシャワーである。

ブルボンの偉業達成を見ようと沸く京都競馬場。
1992年11月8日第53回菊花賞。
もうブルボンには距離不安など無い。
ブルボンが1番強い。と判断したファンはブルボンを1.5倍の1番人気にした。
キョウエイボーガンがハナ宣言をしていたので、ブルボンは2番手からの競馬。
ライスシャワーは虎視眈々と5番手から。

坂の下りでもミホノブルボンの手ごたえは十分。
直線を先頭で向き、逃げ込みを図ろうとするミホノブルボンに遂にあの刺客が襲い掛かったのだ。

的場均とライスシャワー。

スプリングステークスから負かし続けた馬に最後の最後でやられてしまったのだ。
3000mが適距離のライスシャワーと、決して3000mが得意ではないミホノブルボン。
最後はスペシャリストに屈してしまったブルボンであったが、マチカネタンホイザを差し返したあたりにダービー馬の意地を垣間見た瞬間であった。

こうして、無敗の三冠達成と同時に、3歳チャンピオンによる無敗の三冠馬と言う空前絶後の記録は幻と変わってしまったのであった。

この成績が評価され1992年の年度代表馬にミホノブルボンは選ばれたのだ。

その後、ブルボンは度重なる怪我に見舞われてしまし1度もターフに姿を戻すことなく1994年1月19日に引退したのであった。

一人の調教師が貫き通した信念『鍛えて馬を強くする』
ブルボンを強くした『坂路』

しかし、ブルボンが最も成功した理由はそのスパルタに耐えうるだけのブルボンの『精神力』だったのかもしれない。

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