ブエナビスタという名馬をご存知ですか?

名前 ブエナビスタ 生年月日 2006年3月14日
スペシャルウィーク ビワハイジ
調教師 松田博資 騎手 安藤勝己
馬主 サンデーレーシング 生産者 社台ノーザンファーム
戦績 23戦9勝(うち海外2戦0勝)
優勝 '08阪神ジュベナイルフィリーズ(G1) '09桜花賞(G1) '09オークス(G1) '10ヴィクトリアマイル(G1) '10天皇賞(秋)(G1) '11ジャパンカップ(G1)

スペシャルウィークが送り出した2代牝馬。
その1頭が『ブエナビスタ』だ。

この時すでに名繁殖牝馬の地位を獲得していたビワハイジの価値をさらに高めたのがこのブエナビスタ。
ビワハイジの6番目の仔としてスペシャルウィークとの間に生まれたブエナビスタは、栗東の松田博資厩舎に入った。

10月の京都のデビュー戦を1番人気で迎えたブエナビスタは後方から追い込むも3着まで。
この新馬戦には、皐月賞馬アンライバルド、菊花賞馬スリーロールス、ダービー2着のリーチザクラウンとのちのクラシックを賑わす馬たちが出走しており伝説の新馬戦と言われた。
続く未勝利を快勝したブエナビスタは、格上挑戦ながら阪神ジュベナイルフィリーズに向かった。
未勝利を勝ったばかりでの1番人気と言うファンの期待の高さが伺えた。

スタートをゆっくり出たブエナビスタは、後方で脚を溜め、最後の直線でその末脚を思う存分発揮し直線だけで15頭を抜き去り最後は2馬身半差を付け勝利した。
この瞬間、来年の主役はこの馬で決まった。

年が明け休み明けでチューリップ賞に出走。
この頃のブエナビスタのレーススタイルは後方から差し切るパターンであった。
この日も後方2番手からレースを進め、3コーナー過ぎから少しづつボジションを上げていくが若干引っ掛かっているようにも見えた。
直線向いて中団まで押しあげ残り200mから追い出し最後は逃げたサクラミモザを1馬身捉えた。
その末脚たるや圧巻であった。
この末脚こそブエナビスタの1番の魅力であった。
が、一方でこの脚質が後々レースに響いて来るのだった。

トライアルを勝ち無事に桜花賞に進んだブエナビスタ。
単勝は1.2倍と、もはや負けなど考えられなかった。
2番人気はその年の新馬、オープンと連勝してきたレッドディザイア。
この時はブエナビスタのライバルになるとは思わなかったが新星が現れてきた。

五分のスタートからブエナビスタは後方2番手からゆっくり進めて行く。
前にレッドディザイアがいた。
4コーナーを前にして一旦内に入れようとしたが進路が取れずに結局は大外に出して残り400mから追い出しを開始し、そこからは他馬を一刀両断。
先に抜けていたレッドディザイアを最後は1馬身差を付けての勝利。
母ビワハイジが果たせなかったクラシック制覇を娘が成し遂げたのだ。
まず1冠。
そんな声まで聞こえていた。

牝馬2冠を目指すべく5月29日オークスに駒を進めた。
ここでも圧倒的1番人気だったが、ブエナビスタへの2400への不安や、レッドディザイアが前走でブエナビスタに迫ったことで桜花賞よりはオッズが悪くなっていた。
いつも通り最後方に位置取り進んでいく。
最後の直線で、外から内に進路を取ろうとするがここでも捌きに手間取ってしまい、外に出し追い出しにかかった。
一方レッドディザイアはロスのない競馬をし桜花賞同様先に抜け出しブエナビスタの末脚を封じようとするが、最後はブエナビスタがハナ差差し切っての勝利。
これで2冠達成。
秋には3冠達成が見えていた。

しかし、陣営から思わぬプランが発表された。
札幌記念をステップとし凱旋門賞挑戦が明らかにされた。
3歳牝馬による初めての挑戦にして勝ち負けが期待できるレベルの馬の参戦に沸いた。

8月23日札幌競馬場で札幌記念が行われた。
凱旋門賞への道、ということもあり注目度は高く、ファンの支持も受けた。
後は勝つだけ。
そう誰もが思っていたが、この大事な時にブエナビスタの脚質が災いすることとなる。
小回りの札幌では追い込みでは難しかった。
騎手の指示に素早く動ける馬でもないブエナビスタは僅差の2着になってしまい、凱旋門賞挑戦は白紙になり秋は国内に専念することが決まった。

札幌記念を使ったブエナビスタはトライアルを使わずに秋華賞へ向かった。

スタートは悪くないブエナビスタだが、レッドディザイアをマークするような形で中団から進んでいく。
今回も先にレッドディザイアが抜けていく、内で我慢していたもののそこから外に出したがこのロスが痛かった。
最後猛追するもハナ差及ばず2着だと思ったが、最後の直線でブロードストリートの進路を妨害したと見られ3着降着になってしまった。

次走はエリザベス女王杯に決まり、レッドディザイアはジャパンカップに向かうのが決まった。
ライバルがいないこのレース。
古馬相手でも決して負けなど許されるはずもなかった。
来年には海外も視野に入れていかなければいけない馬であったから。
ブエナビスタが負けるパターンはやはり前の馬を差せないこと。
しかし、よほどのことが無い限りは負けないだろうと思っていた。

しかし、恐れていたよほどのことが起きてしまったのだ・・・

第34回エリザベス女王杯。
1・2・3番人気は3歳勢が占めた。中でもブエナビスタの人気は抜きん出ていた。
レースはクイーンスプマンテが逃げそれをテイエムプリキュアが追っていく。
ブエナビスタはまたもや後方からだった。
向こう正面に入り前と3番手の差が気付ば20馬身弱の差があった。
坂を下って各騎手が前との差に気づき、ブエナビスタの安藤勝己も仕掛けだした。
ブエナビスタが直線を向いた時にはまだ10馬身以上の差はあった。
平坦の京都では中々止まらない。
クイーンスプマンテが逃げテイエムプリキュアが粘るところを外から、猛然とブエナビスタが追いすがるがもはや万事休す。
3着が手一杯だった。

ブエナビスタのこの年の最後のレースはグランプリ有馬記念。
このレースから鞍上が安藤勝己から横山典弘へ乗り替わりも決まった。
3歳牝馬ながら1番人気に支持されたブエナビスタ。
横山典弘はこれまでのブエナビスタのイメージを変える騎乗をみせた。
2馬枠から出ると4番手と先団で競馬を進めて行ったのだ。
初騎乗ながら折り合いはついていた。
先にマツリダゴッホが仕掛ける、それを見てブエナビスタが外に出し坂下で先頭に躍り出るが、ブエナビスタに襲い掛かったのはドリームジャーニーだった。
後ろから行けば前を差せず、前に行けば後ろから差されてしまった。
何とも歯がゆいレースが続いていてしまった。
1960年スターロッチ以来の3歳牝馬により有馬記念制覇はならなかった。
負けはしたが先行馬総崩れの中ブエナビスタのみが残り能力は示した。

この年、最優秀3歳牝馬を受賞した。

翌2010年はドバイ遠征が決まりそのステップとして京都記念が選ばれた。
ここには、有馬記念で苦杯を舐めたドリームジャーニーも出ていたがブエナビスタが1番人気になった。
ここでも、積極的にレースを進め3番をキープ。
すっかり横山典弘との息もピッタリであった。
終始マークされる厳しい展開の中、ジャガーメイルに詰め寄られるも最後は半馬身差先着し勝利。
次走へ向けて文句なしの結果であった。

ブエナビスタがドバイで選んだレースは2400mのドバイシーマクラシックであった。
鞍上にはオリビエ・ペリエを配して万全を期していた。
スタートしてから内の馬を見ながら中団に位置取った。
前が離しその後は塊になる展開。
直線に向いて、馬場の真ん中から伸びてくるが狭くなるシーンが見受けられ、その後開いたスペースを鋭い脚で抜けてくるが前を捕まえられず2着だった。

日本に帰って来て出走を決めたのはヴィクトリアマイル。
しかし、遠征の影響かブエナビスタの体調は完調にはほど遠いものであった。
スタート後馬に任せて気づけば後ろからの競馬になっていた。
4コーナーから外に持ち出した。
そこから、じわじわ伸びて来て最後はクビ差での勝利。
やはり、状態が良くなかったのか勝ちには勝ったがブエナビスタの鋭い伸び脚ではなかった。

春の最後は宝塚記念に出走。
再びブエナビスタは1番人気の支持を受けた。
スタートしてから横山典弘が少しおっつけて前に行かせた。
好位4番手の内でレースを進めて行く。
内で我慢し仕掛けも我慢して、ナムラクレセントとアーネストリーの間を割って勝てるかと思ったら、外からナカヤマフェスタに差し切られ2着。
調子も良くは無かったと思うが、前に行くとやはりブエナビスタの鋭い脚は影を潜めている印象があった。

昨年白紙になった凱旋門賞へは挑戦せず国内線に専念することとした。

秋の初戦は天皇賞(秋)に決まった。
鞍上は横山典弘が落馬で負傷したためクリストフ・スミヨンにが手綱を取った。
内の好枠を引き当てたブエナビスタは、スタートでやや立ち上がるもすぐにスミヨンが好位を取りに行く。
向こう正面では8番手まで下げていた。
馬群は一塊で流れていた。
4コーナーから直線に向いて馬なりで坂を上がってくると、そこからは久々に本来のブエナビスタの姿を見せ2着馬に2馬身差を付けての快勝だった。
父スペシャルウィークと共に親子制覇となった。

王道を行くブエナビスタはジャパンカップに。
外国馬に大物も見受けられず、国内組とは勝負付けが済んでいたブエナビスタは当然ながら1番人気となった。
外枠という事もあり出てもおっつけはせず中団やや後ろ位置になった。
有力馬が挙って前にいる展開は願ってもない展開であった。
大欅を前に少しづつポジションを上げていき直線では大外に持ち出した。
皐月賞馬ヴィクトワールピサや2歳王者ローズキングダムがいるなか、内に切れ込みながらも最後は約2馬身の差を付けての勝利。
ここも完勝だった。

かに思われたのだが、、、

最後の直線でローズキングダムの進路を塞いだとして2着降着処分を受けた。
故に、この勝利は幻となってしまった。
強い競馬を見せても勝てなかったのは、実にもどかしい。
3歳のころのブエナビスタもこのような感じであった。

正にこの有馬記念はブエナビスタにとってはリベンジの舞台となった。
前走で2着に降着になってもファンの期待が揺らぐことは一切なかった。
2年連続で有馬記念で1番人気になった。
好スタートから中団やや後ろで前を見る展開になった。
スローペースを嫌ったヴィクトワールピサのミルコ・デムーロがハナに並びかける。
ブエナビスタは内から外に持ち出し、最後は1頭だけ真ん中から迫るがハナ差の2着。
この年G1で2着が4回になってしまった。

この成績が評価されこの年の年度代表馬に選ばれた。

翌年も現役続行が決まり、ドバイワールドカップへの出走を決めた。
このレースではライアン・ムーアが手綱を取ったが最後の直線で進路に手間取り日本馬のワンツーの中8着と初の大敗を喫した。

昨年同様、帰国後はヴィクトリアマイルに出走。
ここには、前年の牝馬3冠馬であるアパパネとの女王決定戦でもあった。
アパパネをマークする形でレースを進めるも最後はクビ差の2着であった。
続く、宝塚記念でも逃げるアーネストリーを捉えきれず2着。
これで、国内でのG1が4戦続けて2着とあと一歩手が届かなくなっていた。

秋は昨年と同じローテーションでの参戦。
天皇賞で牝馬初の連覇を目指したが、日本レコードの決着で3着止まりだった。

2011年11月27日東京競馬場で第31回ジャパンカップが行われた。
ブエナビスタは昨年の忘れ物を取りに来たのだ。

しかし、それに待ったをかけたのは凱旋門賞馬のデインドリーム。
凱旋門賞を会心のレコードで快勝したこの馬が1番人気になった。
気が付けばブエナビスタは1年も勝ち星から遠ざかっていた。
内々でじっと我慢をさせ、最後の直線は天皇賞馬のトーセンジョーダンとの叩き合いを制し見事昨年のリベンジを果たした。
が、そこには往年の切れ味は無いかの様にも映った。

ラストランは有馬記念。
内枠から先行するもこの年の三冠馬のオルフェーヴルから離され7着になり、ブエナビスタは競走馬としての人生を終えた。

レース終了後の引退式には6万人のファンが最後を見届けた。
その場で、ブエナビスタは涙を流したとされている。

寂しさからなのか、不甲斐なさからなのかは分からないがブエナビスタ自身もこのレースが最後と分かっていたのかもしれない。
もう走る事に疲れたのかもしれない。

2歳時から5歳まで怪我なく走り続けた3年半。
圧倒的な強さとパフォーマンスを見せた3歳時。
歯がゆくもどかしかった4歳時。
ブエナビスタ自身の意地を見せた5歳時。

私たちが見た引退式でのブエナビスタが見せた涙は『絶景』だったのかもしれない。

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